マジック点灯は「キタ――(゚∀゚)――!!」の瞬間!プロ野球史に残る、速攻でマジック点灯させた球団5選!!
2018年3月28日 更新

マジック点灯は「キタ――(゚∀゚)――!!」の瞬間!プロ野球史に残る、速攻でマジック点灯させた球団5選!!

プロ野球における山場のひとつ「マジック点灯」。贔屓の集団に点灯すれば歓喜、ライバル集団に転倒すれば背水の陣。そんなファンの気持ちを一喜一憂させるマジックナンバーのなかでも球史に残る「速攻」点灯年次5選を紹介してみます。

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プロ野球の例年の山場のひとつに「マジック点灯」がありますよね。
優勝争いの激闘の最中、ついに点灯するマジック。贔屓の球団に灯れば歓喜、ライバル集団に点灯すれば背水の陣。

おおよそ8月後半から9月の点灯が通例ですが、ここではある意味で盛り上がらなかったかもしれない「あまりにも早すぎたマジック点灯」の年5選を紹介します。

1965年7月6日 南海ホークス 「M62」

えっとまだ夏前です、下手したら梅雨も明けていなかったかも(笑。
パ・リーグファンだった方、これではもう高校野球で盛り上がる他なかったかもしれませんね。

ちなみに、この年の南海は日本プロ野球界史上最速のマジック点灯ということになります。
どれほど凄かったのか、マジック点灯時(7月6日)のパ・リーグ順位表をご覧ください。
1 南海ホークス 49勝 9敗 0分 .8448
2 東映フライヤーズ 27勝 29敗 1分 .4821
3 東京オリオンズ 26勝 34敗 1分 .4333
4 西鉄ライオンズ 23勝 31敗 1分 .4259
5 阪急ブレーブス 24勝 34敗 1分 .4138
6 近鉄バファローズ 25勝 37敗 0分 .4032
そりゃそうなりますよね~。

ただし、この年の後半はけっこう負けています。
リーグ優勝したものの最終戦績は88勝49敗3分ですから、ここから実は39勝40敗と負け越しているんです。
前年日本一を達成した南海は、この年は今までにない絶好調で、なんと開幕わずか3ヶ月後の7月6日に「マジックナンバー62」が点灯するという物凄さ。しかしその後は低迷、結局前半の超絶好調が物をいって優勝したものの、あまりの超絶好調に客足がガタオチする事に。そんな中この年、主砲・野村克也が「三冠王」を達成。「三冠王」は1938年秋の東京ジャイアンツの中島治康以来27年振りで、「戦後」・「2リーグ分裂」・「長期シーズン」では初となった。

シーズンオフ、日本シリーズで読売ジャイアンツ(この年から「V9」スタート)に負けた鶴岡一人が1946年以来務めた監督を勇退、蔭山和夫ヘッドコーチが新監督に。
攻守ともパ・リーグ優勝に貢献し、三冠王、MVPとなった野村

攻守ともパ・リーグ優勝に貢献し、三冠王、MVPとなった野村

引用:福岡ソフトバンクホークス
初モノ尽くしの3冠王、野村監督が最強現役プレイヤーだった時代です。
しかしながらこの年の南海は日本シリーズで巨人に敗れ、奇しくもこの年から巨人はV9の黄金時代を築くこととなりました。

2003年7月8日 阪神タイガース 「M49」

次にはセ・リーグ史上最速のマジック点灯、これまた夏本番を迎える前(?)のマジック点灯です。2003年ということで比較的最近の阪神。

星野竜から星野虎へ、監督として阪神移籍2年目のこの年のメンバーは今もって阪神史上最強との呼び声も高いです。
85年と03年。ファンが選ぶ過去最強阪神はどちらなのか、とても興味がありますよね。
2年目の星野監督の元で断行された「血の入れ替え」によって選手を大きく入れ替えた阪神は、開幕直後から首位を独走し、7月終了時点で2位に17.5ゲーム差の大差を付け、そのまま2位以下を全く寄せ付けず、18年ぶりのセ・リーグ優勝をぶっちぎりで飾った。しかし、日本シリーズでは、王監督率いるダイエーに3勝4敗で敗れ、日本一を逃した。戦力としては、「第三次ダイナマイト打線」と称された金本・矢野・今岡・アリアス・赤星らの野手陣が140試合で728得点と1試合5点以上を獲る得点力を発揮し、投手陣も井川・伊良部ら先発陣、安藤・ウィリアムスらリリーフ陣がともに活躍し、チーム防御率はリーグ1位を誇った。

阪神優勝2003

いまは亡き星野監督率いる猛虎軍団、ぶっちぎりの強さを見せた2003年でした。

筆者個人は「超」がつくドラキチだったので、この年は中日の2位死守の方が気になっていました(阪神ファンの方、スミマセン)。

1995年7月22日 オリックス・ブルーウェーブ 「M43」

私たちの世代は1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大大震災をともに経験した世代でもあることでしょう。

「勇気を与える」べく、その年の地元プロ野球チームは大いに発奮してくれます。それは95年のオリックス、11年の楽天ともにそうでした。

95年は「がんばろうKOBE」を合言葉に、6月から圧倒的な快進撃を始めたのがオリックス。
前年の94年に大ブレイクしたイチローは、この年実に首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率を獲得して、復興を志す神戸のシンボルとなりました。

また「守護神」平井の存在も忘れてはならないでしょうね。
この年、リリーフのみの登板で15勝27セーブとあわや最多勝に手が届きそうだった平井。
いかに彼が「守護神」で、チームが何度も蘇るような試合を戦ったかが分かるというものです。

オリックスブルーウェーブV1への軌跡 ~イチロー四冠王への挑戦~

この年のオリックス・ブルーウェーブは仰木彬監督の2年目のシーズンである。
この年の1月17日に地元神戸が阪神・淡路大震災で被災したオリックスは「がんばろうKOBE」を合言葉にこのシーズンを戦った。シーズン序盤は5割前後の勝率で首位を西武に譲っていたが、6月に西武から首位の座を奪うと一気に2位以下を突き放し、オリックスになってからは初、阪急時代から通算して、11年ぶり11度目の優勝を飾った。日本シリーズでは野村監督率いるヤクルトに1勝4敗で敗れ、日本一は逃した。野手陣では、前年シーズンにシーズン200本安打を達成して大ブレークしたイチローがこのシーズンも活躍し、投手陣では平井がリリーフのみの登板で15勝27セーブを挙げ、大活躍した。

2006年8月12日 中日ドラゴンズ 「M40」

ドラキチ的にはM40点灯後も、最後までハラハラしたシーズンが2006年。
興奮しっぱなしの一年でした。

落合監督3年目のシーズンで、2004年以来2年ぶり7回目のリーグ優勝を果たしたこの年。
歴代5番目の大きなマジックナンバーM40点灯も、「お盆真っ只中」8月12日というそこまで早い時期でない点灯日であることからは、成績がブッチギリなのに独走でなかった事実が伝わるのかもしれません。

そう、この年は中日と阪神2強の構図でした。
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