たそがれたか、高齢者バンドの宿命
低迷期が続く
アルバム、シングルもヒットしたのは分派側「イエス=ABWH」であったが、次のアルバムを制作する段になって、両者の統合が進む。
アンダーソンがラビンに曲の依頼を依頼したりはじめ、左右のメンバーが次第に統合されてくる。そこで完成したアルバムは、「UNION」(邦題:結晶)である。サポート・メンバーにはレビンやシャーウッドを加えて総勢8人、ワールドツアーも敢行される。
なおツアー終了後、ドラムスのブラッフォードが脱退。ハウは解雇に。ウェイクマンも脱退。1994年アルバム「トーク」をリリース。ツアー後ラビンとケイが脱退。その後ハウとウェイクマンが出戻り。
非常に出入りが激しい中、1996年にアルバム「キーズ・トゥ・アセンション」と翌年の1997年に、「キーズ・トゥ・アセンション2」がリリースされる。この二つのアルバム収録後、ツアーが予定されていたが、マネジメントの失態でキャンセル。結果としてウェイクマンが脱退するという予想外の展開に。
アンダーソンがラビンに曲の依頼を依頼したりはじめ、左右のメンバーが次第に統合されてくる。そこで完成したアルバムは、「UNION」(邦題:結晶)である。サポート・メンバーにはレビンやシャーウッドを加えて総勢8人、ワールドツアーも敢行される。
なおツアー終了後、ドラムスのブラッフォードが脱退。ハウは解雇に。ウェイクマンも脱退。1994年アルバム「トーク」をリリース。ツアー後ラビンとケイが脱退。その後ハウとウェイクマンが出戻り。
非常に出入りが激しい中、1996年にアルバム「キーズ・トゥ・アセンション」と翌年の1997年に、「キーズ・トゥ・アセンション2」がリリースされる。この二つのアルバム収録後、ツアーが予定されていたが、マネジメントの失態でキャンセル。結果としてウェイクマンが脱退するという予想外の展開に。
再び活動停止状態と2世の加入;リックの長男=オリバー
via kakereco.com
1997年の二枚目のアルバム「オープン・ユア・アイズ」に続き、1999年には「ラダー」2001年「マグニフィケイション」がリリースされるも、全英、全米ともパッとせず、「マグニフィケイション・ツアー」のに入る。
ツアー終了義、ウェイクマンの再加入が発表されるが、ライブ・ツアーのみで新しいレコーディングはない。ついで2004年に、オーナーであるアンダーソン不在のまま、混成メンバーでライブに参加。これが契機となったか、2008年まで再び活動停止に陥る。
ただ実は、アンダーソンの体調不良、病気によることが大きい。しかしその後、2016年以外のライブには、アンダーソンがイエスの舞台に現われことはめっきりなくなった。
なお2005年にはウェイクマンことリックがイエスの活動不参加を表明。しかしリックの長男、オリバー・ウェイクマンが2008年より一時的に父親の代役を務めるも定着しなかった。
ツアー終了義、ウェイクマンの再加入が発表されるが、ライブ・ツアーのみで新しいレコーディングはない。ついで2004年に、オーナーであるアンダーソン不在のまま、混成メンバーでライブに参加。これが契機となったか、2008年まで再び活動停止に陥る。
ただ実は、アンダーソンの体調不良、病気によることが大きい。しかしその後、2016年以外のライブには、アンダーソンがイエスの舞台に現われことはめっきりなくなった。
なお2005年にはウェイクマンことリックがイエスの活動不参加を表明。しかしリックの長男、オリバー・ウェイクマンが2008年より一時的に父親の代役を務めるも定着しなかった。
その後のイエス、そしてベース=クリス・スクワイヤの死
カナダ人ボーカリストであるベノア・デイヴィッドを加入させ、2010年にはアルバム「フライ・フロム・ヒア」を、また2112年には「ヘブン・アンド・アース」をリリース。
2013年、デビュー時の初代ギター=ピーター・バンクスが死去。
2015年急性骨髄性白血病を患った、バンド創業期からの一貫したベーシスト=クリス・スクワイヤが逝去。しかし本人の遺志を尊重してバンド活動の継続を表明。
2016年は、度ごとのメンバーの組み合わせで春のヨーロッパツアー、秋のワールドツアーが組まれたが、アルバムの制作などは行なわれていない。
2013年、デビュー時の初代ギター=ピーター・バンクスが死去。
2015年急性骨髄性白血病を患った、バンド創業期からの一貫したベーシスト=クリス・スクワイヤが逝去。しかし本人の遺志を尊重してバンド活動の継続を表明。
2016年は、度ごとのメンバーの組み合わせで春のヨーロッパツアー、秋のワールドツアーが組まれたが、アルバムの制作などは行なわれていない。
Yes 2016 Live Roundabout
via www.youtube.com