渡辺智男。西武の同僚・清原は甲子園で対戦し3三振!号泣し素振りを繰り返した!
2021年5月27日 更新

渡辺智男。西武の同僚・清原は甲子園で対戦し3三振!号泣し素振りを繰り返した!

渡辺智男。高知県・伊野商のエースとして、3年春に選抜高校野球大会に出場し、優勝。PL学園の清原和博、桑田真澄の「KKコンビ」とは準決勝で対戦。清原から3三振を奪う快投をみせた。西武ライオンズ入りしてからは怪我と戦った渡辺智男の野球人生を追う。

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1991年は新人から3年連続となる二桁勝利を挙げ、さらに初のタイトルとなる最優秀防御率を獲得した。

1992年は前半戦で7勝を挙げて上々のスタートを切ったが、シーズン後半になるとストライクが全く入らない状態に陥ってしまった。さらに右ひじ痛が発覚。後半戦は未勝利に終わった。
同年の日本シリーズでも第4戦に先発したが、2安打3四球の内容で前年と同じく3回途中での降板となっている。

1993年、コントロールの悪化は腰痛をかばってフォームが崩れた事が原因と考え、キャンプから修正を繰り返したが状態は改善せず、イースタン・リーグでも結果を残せず、プロ入り初の一軍での登板は無しでシーズンを終えた。
この頃の渡辺は投球ノイローゼのような状態だったとも言われている。

オフに佐々木誠、村田勝喜、橋本武広3選手との大型交換トレードで秋山幸二、内山智之両選手とともにダイエーに移籍した。
「1991 Qカード レギュラーカード 渡辺智男」

「1991 Qカード レギュラーカード 渡辺智男」

ダイエー移籍1年目の1994年は、5月5日の対ロッテ戦で1年11ヶ月振りの勝利を無四球完封で飾り、期待を持たせたものの、投球のムラが激しく、8月3日の対近鉄戦で右足首を痛めて以降はチームの好調もあり登板がなかった。

1995年、右足首の状態からキャンプでの調整が遅れ、初登板となった4月14日の対近鉄戦で7回途中まで3安打無失点に抑えるも、その後は成績が低迷0勝に終わる。

1996年、キャンプ中に腰を痛めて2軍での調整が続き、7月には再起をかけて自らサイドスローへの転向を決めた。しかし、登板の機会を得るも結果に結びつかないままシーズンを終えた。

1997年オフに金銭トレードで西武ライオンズに復帰したが一軍登板のないまま、1998年限りで現役を引退。西武ライオンズのスカウトに転身した。
「世紀のトレード」と呼ばれた大型移籍

「世紀のトレード」と呼ばれた大型移籍

左から内山智之、秋山幸二、渡辺智男

怪我と戦った野球人生

高校時代からキレの良い速球を持ち味とし、プロ入り後は更に球威が増し、150km/hを超える速球と落差の大きいカーブ、鋭いスライダーで1年目から活躍していた渡辺。
新人時代は渡辺久信や村田兆治を目標の選手に挙げ、本格派として長く活躍する事を目指していたが、怪我に苦しむ野球人生となってしまう。

高校時代から続く腰痛には気功療法を行っていたが、1992年に起きた投球イップスの影響により身体のバランスを失い、以降右ひじ痛や右肩痛、足首故障など度重なる故障により、プロでの活躍期間は短かった。

また、乱視にも悩まされ、高校時代は眼鏡を付けて投球していたが、社会人時代からコンタクトレンズを付けて投球するようになり、眼鏡を付けずに投球した。しかし、プロ入り後にたびたび乱視が起こり、制球が定まらなくなって自滅するケースもあった。
ダイエー時代

ダイエー時代

プロフィール

1967年6月23日生まれ。高知県高岡郡佐川町出身。愛称は、「ナベトミ」。
身長は178 cm、体重80 kg。右投左打。

【プロ生活】
・プロ入り : 1988年 ドラフト1位
・初出場 : 1989年6月2日
・最終出場 : 1997年8月30日
2009年8月22日のロッテ戦ではライオンズ・クラシッ...

2009年8月22日のロッテ戦ではライオンズ・クラシックの一環として、清原和博を相手に始球式を行った。

常勝軍団だった80年代中盤以降の西武ライオンズ。
ナベQこと渡辺久信と共にチームのもう一人の”渡辺”として活躍した渡辺智男。

1990年にオールスターで対戦した阪神・岡田彰布は、同年それぞれ新人王を獲得した与田剛や野茂英雄よりも、渡辺の方が速球の力が上だったと評している。

現役時代は怪我やイップスに悩まされながらも力投を続けた。その姿がまたかっこ良く見えた渡辺智男だった。

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