小さな大投手・甲子園に帰る
田村選手は卒業後、日本大学、社会人で野球を続け、その後指導者として安積商業高等学校の監督に就任。1979年の第61回全国大会。1982年の第64回大会に同校を甲子園まで導きます。(共に初戦敗退)
更に、1985年には母校の磐城高校の監督として第67回大会に出場します(初戦敗退)。その後、聖光学園高校で監督を務め、1991年の秋季大会で同校を初めて県大会優勝に導き、秋季東北大会に進出させます。(準々決勝で仙台育英高校に延長15回1-2でサヨナラ負け、選抜出場を逃す)
「小さな大投手」と呼ばれた田村隆寿は球児としてだけではなく、指導者としても福島県の高校野球の発展に多大な貢献を果たしたのです。
「小さな大投手」と呼ばれた田村隆寿は球児としてだけではなく、指導者としても福島県の高校野球の発展に多大な貢献を果たしたのです。