平成に誕生した横綱の「引退」をまとめてみました!
2019年1月17日 更新

平成に誕生した横綱の「引退」をまとめてみました!

稀勢の里が引退になりましたねぇ・・・ ケガでだいぶ苦しんだ横綱でしたね。今回はそんな平成の横綱の引退を中心に振り返ってみたいと思います。名場面を思い出して、目頭が熱くなるかもしれませんよ!

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横綱の土俵入りは、人数が少なく「短命」のジンクスが有る不知火型を敢えて選びました。
これには所属する立浪一門が代々不知火型を採用していた(羽黒山・吉葉山・双羽黒)という事情もあったそうです。
土俵入りの指導は一門外の佐渡ヶ嶽親方(元横綱・琴櫻)が行いました。

1992年1月場所で引退。稀勢の里同様に初日からの3連敗を喫しています。
膵臓の病もあり、負けが込んでしまった旭富士は僅か9場所の短命横綱に終わりました。
短い期間ではありましたが、歴史に名を遺す横綱だったと思います。

旭富士 初優勝の瞬間

旭富士初優勝の瞬間(昭和63年初場所)対千代の富士戦

64代横綱 曙太郎

曙 太郎(あけぼの たろう、1969年5月8日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ワイマナロ出身で東関部屋に所属していた大相撲力士。第64代横綱。
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初土俵と入幕

初土俵は1988年3月場所、入幕が1990年9月場所でした。
当初ハワイの大学でバスケットボールをやっていたのですが、大学でコーチと対立し中退してしまいます。その後スカウトされ、相撲界に足を踏み入れることになります。

曙は順調に勝ち進み入幕を果たします。
ちなみに一文字四股名の新入幕力士は1916年5月場所新入幕の明 虎吉(あきらか とらきち)以来74年ぶりであったそうです。

横綱、そして引退

九重親方(第58代元横綱・千代の富士)が土俵入りの指導を行い、雲龍型で横綱土俵入りを果たします。

なんといっても曙は、外国人初の横綱でした。
我々は歴史的な相撲をライブで観れたのだと思います。

そして2001年1月場所で引退・・・
引退会見での曙は「8〜10勝の平凡な勝ち越しなら出来るが、もう優勝争いは不可能」「横綱として足を引きずった惨めな姿で土俵に上がりたくない」と決意したと言っていました。

ここではその後の活動については触れませんが、貴乃花との死闘を繰り広げた横綱曙の姿は、今も目に焼き付いて離れません。

ライバル貴乃花との取組

貴乃花 対 曙 〜永遠のライバル対決〜 1

65代横綱 貴乃花光司

貴乃花 光司(たかのはな こうじ、1972年8月12日 - )は東京都杉並区出身、藤島部屋(後に二子山部屋)に所属した元大相撲力士で第65代横綱
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初土俵と入幕

初土俵は1988年3月場所、入幕は1990年5月場所でした。

1989年11月場所、17歳2か月で新十両に昇進。出世に髪の伸びる早さが追いつかず大銀杏が結えず、ちょんまげ姿で土俵に上がったのが話題となりました。

史上最年少の関取として、とにかくお兄ちゃんと一緒に話題になりましたよね(^^)/

入幕後には「若貴フィーバー」と呼ばれ、平成初期の一大相撲ブームの担い手となりました。
物凄い人気であり、女性誌の表紙を飾ることもありましたね。

横綱、そして引退

1994年(平成6年)11月場所後、ついに横綱昇進が決定します。
尚、横綱土俵入りは「雲龍型」を選択しています。当時同じ二所ノ関一門の横綱だった間垣親方と鳴戸親方の二人が主に指導しました。

成績不振や7場所連続の長期休場など、苦労の絶えなかった横綱時代ですが、2003年1月場所で引退を表明。くしくも父親とほぼ同年齢での引退となりました。

引退後には色々とトラブルがあり、苦労されていると思いますが、私は貴乃花が大好きです(^^)/

満身創痍の中、鬼の形相で優勝

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