平成に誕生した横綱の「引退」をまとめてみました!
2019年1月17日 更新

平成に誕生した横綱の「引退」をまとめてみました!

稀勢の里が引退になりましたねぇ・・・ ケガでだいぶ苦しんだ横綱でしたね。今回はそんな平成の横綱の引退を中心に振り返ってみたいと思います。名場面を思い出して、目頭が熱くなるかもしれませんよ!

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朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり、1980年9月27日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身の元大相撲力士、第68代横綱、モンゴル国レスリング協会会長。現在は実業家、モンゴル国民投資銀行(NIBank)の経営者、タレント、コメンテーター、評論家、映画俳優、慈善家として多方面で活躍している。本名はドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ
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初土俵と入幕

初土俵が1999年1月場所、入幕が2001年1月場所でした。

15歳からモンゴル相撲を始めた朝青龍は、それはそれは強かったそうです。
相撲留学で、野球などで有名な日本の明徳義塾高校に留学し、高校を中途退学して角界に入門します。

負ける時もあった朝青龍ですが、持ち前の負けん気の強さで入幕を果たします。
頑張り屋さんだったんですよね(^^)/

横綱、そして引退

初土俵から25場所での横綱昇進は、年6場所制では朝青龍が最速でした。凄い事ですよね!
なお横綱土俵入りは、高砂一門伝統の雲龍型を選んでいます。

たしか2003年11月場所限りで武蔵丸が引退したことにより、2004年1月場所の番付で朝青龍は史上8人目の一人横綱となりましたよね。

そして2010年1月場所で引退。
色々とトラブルが絶えなかった朝青龍でした。横綱では史上初の反則負けもあり、良くも悪くも名を残した平成の大横綱だと思います。
あれこれ言われていますが、あれだけの負けん気の強さは見習うところも多かったと思います。

朝青龍 現役最後の取組

白鵬-朝青龍 平成22年(2010)一月場所千秋楽 (現役最後の取組)

70代横綱 日馬富士公平

日馬富士 公平(はるまふじ こうへい、1984年4月14日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)所属の元大相撲力士、第70代横綱(2012年11月場所 - 2017年11月場所)。本名はダワーニャミーン・ビャンバドルジ。
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初土俵と入幕

初土俵が2001年1月場所、入幕が2004年11月場所でした。

日馬富士は、旭鷲山の部屋の先輩にあたる安治川親方がモンゴルで開いた相撲大会に出場し、そこでスカウトされたそうです。

2001年1月に安馬の四股名で初土俵を踏み、翌3月場所には早くも序ノ口優勝(西29枚目・7勝0敗)を果たすという快挙でした。

2004年3月場所には前相撲から20場所で新十両を決め、同年の9月場所には11勝4敗で十両優勝を果たしています。まさに破竹の勢いでしたね。

新入幕の時も見事に勝ち越し、その強さを見せつけることになりました。

横綱、そして引退

日馬富士が横綱になった2012年(平成24年)11月場所は、じつに16場所ぶりに白鵬と共に東西に横綱が並び立つ形となりました。

しかし、2017年11月場所で引退・・・
この時の引退は、不名誉な形であったのは間違いありません。
詳細についてここでは述べませんが、傷害事件を起こしてしまった以上、人格者としても問われる横綱を務め続けることは出来ないのは当然だったと思います。

それでも、日馬富士は立派な横綱として記憶しています。
これからも元気で人生を歩んで頂きたいですね(^^)/

日馬富士の土俵入り

日馬富士最後の土俵入り、太刀持ち白鵬・ 露払い鶴竜の豪華版 2018.09.30東京両国国技館

平成に活躍した横綱の引退をまとめてみて

いかがだったでしょうか?
平成の横綱は、皆立派でしたよね!

昭和62年(1987年)に横綱になった北勝海(1992年引退)と大乃国(1991年引退)、まだ現役を続けている白鵬と鶴竜はあえて入れておりませんが、二人にはこれからの活躍を期待したいですね(^^)/

平成ももうすぐ幕を閉じますが、この平成という時代に名を残した名横綱は、きっとこれからも語り継がれていく筈です。

横綱の皆様、本当にお疲れ様でした。
素晴らしい取組をありがとうございました!

それではこの辺で終わりにしたいと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました(^^)/
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