1979年3月発売。ヒット映画「白昼の死角」の主題歌になりました。
ちょっとアウトロー的な男の、女に対する思いを、阿木燿子がハードボイルドに仕上げたカッコイイ詩です。これが、映画とベストマッチして、映画共々ヒットしました。
「白昼の死角」は1979年4月公開。夏木勲主演の上映時間2時間半の大作。
キャッチコピーは「狼は生きろ 豚は死ね」という、言葉を選ばない、ストレートなもので話題になりました。
ちょっとアウトロー的な男の、女に対する思いを、阿木燿子がハードボイルドに仕上げたカッコイイ詩です。これが、映画とベストマッチして、映画共々ヒットしました。
「白昼の死角」は1979年4月公開。夏木勲主演の上映時間2時間半の大作。
キャッチコピーは「狼は生きろ 豚は死ね」という、言葉を選ばない、ストレートなもので話題になりました。
欲望の街
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山口百恵との出会い
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山口百恵と宇崎竜童を引き寄せたのは、
ダウンタウンブギウギバンド時代の「涙のシークレット・ラヴ」でした。
ダウンタウンブギウギバンド時代の「涙のシークレット・ラヴ」でした。
人に言えない恋の切なさ…宇崎が静かに歌いあげるラブソングを、16歳の百恵はくり返しくり返し聴いていたという。
「宇崎さんに曲を書いて欲しい…」
アイドルだった百恵が恐る恐る口にした時、周囲のスタッフは「イメージが違い過ぎる!」と、まともに取り合わなかったという。
二人の橋渡しをしたのは、音楽プロデューサーの酒井政利だった。
こうして生まれたのが、
「アイドル・山口百恵」の殻を破ることになった「横須賀ストーリー」。
大人の女の恋心を歌うことで、「歌手・山口百恵」への階段を登り始めたのでした。
「横須賀ストーリー」の後、山口百恵が引退するまでの20曲のシングルの内、12曲を阿木&宇崎コンビが手掛け、すべてオリコンチャートベスト10入りという快挙を成し遂げています。
その中でも、引退時に歌った「さよならの向う側」は、とても印象に残るとともに、多くの涙を誘った名曲でした。
「アイドル・山口百恵」の殻を破ることになった「横須賀ストーリー」。
大人の女の恋心を歌うことで、「歌手・山口百恵」への階段を登り始めたのでした。
「横須賀ストーリー」の後、山口百恵が引退するまでの20曲のシングルの内、12曲を阿木&宇崎コンビが手掛け、すべてオリコンチャートベスト10入りという快挙を成し遂げています。
その中でも、引退時に歌った「さよならの向う側」は、とても印象に残るとともに、多くの涙を誘った名曲でした。
山口百恵 さよならの向う側
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最愛のパートナー 阿木燿子
1971年12月にお二人は結婚。
宇崎竜童さんもデビュー前で、その頃はこの先どうなるかわからなかったでしょうに、夫の才能を信じていたのでしょうね。大した女性です。
「阿木燿子」という女性は、男の哀愁を実に巧みに描く作詞家です。
詩に「愛してる」という言葉をあえて使わないようで、見当たらないのですが、「愛しい」という表現を好んでいるようですね。ロマンティストですねぇ。
宇崎竜童さんもデビュー前で、その頃はこの先どうなるかわからなかったでしょうに、夫の才能を信じていたのでしょうね。大した女性です。
「阿木燿子」という女性は、男の哀愁を実に巧みに描く作詞家です。
詩に「愛してる」という言葉をあえて使わないようで、見当たらないのですが、「愛しい」という表現を好んでいるようですね。ロマンティストですねぇ。
夫人の阿木燿子は、明治大学の同級生で同じ軽音楽クラブだった。キャンパス内を歩いている阿木を初めて見たとき「僕の奥さんになる人が歩いてきた」と思ったという。
う~ん、いわゆる一目惚れってやつですね。それにしても「おっカワイイ」とか「おっタイプ」ってのが普通なのに、「僕の奥さんになる人が歩いてきた」なんて、さすが宇崎竜童さん。御見それしました。
つなぎにサングラスだった宇崎竜童さんも、今年で70歳。
健康に留意して、奥さんの阿木燿子さん共々、まだまだ頑張っていただきたいものです。
健康に留意して、奥さんの阿木燿子さん共々、まだまだ頑張っていただきたいものです。