いぶし銀のプロ野球選手たち
プロ野球はプロスポーツなので、お客さんがその人目当てでくるようなスタープレイヤーは必要不可欠です。王、長嶋に始まり、江川、清原、松井、ダルビッシュ…今では大谷とオーラ漂うスタープレイヤーはプロ野球界にとってなくてはならない存在です。しかし、スタープレイヤーだけでは野球は成立しません。黄色い声援はなくとも、通をうならせているいぶし銀選手も、スター同様になくてはならない存在であることは間違いありません。そこで、ここでへ90年代に活躍したいぶし銀選手を紹介します。
川相昌弘
1984~2003 読売ジャイアンツ
2004~2006 中日ドラゴンズ
通算:1909試合 打率.266 犠打533
2004~2006 中日ドラゴンズ
通算:1909試合 打率.266 犠打533
犠牲バンド533はギネス記録にもなっている「バント職人」。自分を犠牲にしてバントで味方の塁を進める姿勢は、真のプロだった。巨人を戦力外になった時は、ファンから多くのクレームが球団に入るほどファンにも愛されていた存在。
現在は、巨人の1軍ヘッドコーチ。
現在は、巨人の1軍ヘッドコーチ。
川相昌弘 犠打世界新記録達成 - YouTube
via youtu.be
川相 昌弘(かわい まさひろ、1964年9月27日 - )は、岡山県岡山市南区出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ、プロ野球監督。
現役時代は読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズで活躍。同期入団には斎藤雅樹がいる。通算533本の犠牲バントはギネス記録で、「バント職人」の異名を持つ。巨人史上屈指の守備力を誇る遊撃手でもあった[要出典]。息子に読売ジャイアンツの川相拓也がいる。
ニックネームはしわが多く老け顔だったことと「和製オジー・スミス」に引っ掛けて「ジイ」。あるいは、「人生送りバント」と表現する者もいる。
2013年より巨人の一軍ヘッドコーチを務める。
山本和範
1980~1981 近鉄バッファローズ
1983~1995 南海(ダイエー)ホークス
1996~1999 近鉄バッファローズ
通算:1618試合 打率.283 安打数2216 本塁打175
1983~1995 南海(ダイエー)ホークス
1996~1999 近鉄バッファローズ
通算:1618試合 打率.283 安打数2216 本塁打175
顔面はいぶし銀と言うよりはインパクト大ですが、2度もリストラ(戦力外)に遭いながら、不屈の闘志で再び第一線に這い上がったまさに「リストラの星」。
ここぞと言う時の勝負強さが光り、記録も素晴らしいが、それ以上に記憶に残る名バイプレイヤー。
1996年のオールスターの代打ホームランは語り草。
ここぞと言う時の勝負強さが光り、記録も素晴らしいが、それ以上に記憶に残る名バイプレイヤー。
1996年のオールスターの代打ホームランは語り草。
1996年、「まぐれですよ」カズ山本、涙のオールスター代打ホームラン - YouTube
via youtu.be
山本 和範(やまもと かずのり、1957年10月18日 - )は、福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)出身の元プロ野球選手(外野手)。1994年後半戦から1995年までの登録名はカズ山本。
現在はよしもとクリエイティブ・エージェンシースポーツ部に所属し、カズ山本の芸名でタレント活動する傍ら、社会人野球クラブチームの福岡オーシャンズ9の監督を務めるなど多方面で活躍している。
土橋勝征
1987~2006 ヤクルトスワローズ
通算:1464試合 打率.266 本塁打79
通算:1464試合 打率.266 本塁打79
via i.ytimg.com
数字だけを見てしまっては平凡ですが、諦めず何度もファールにして打てる球を待ち続けるなど、いぶし銀と言えば土橋!と言うプロ野球ファンも少なくないはず。今では珍しいメガネ選手の一人としても有名。
ヤクルト一筋19年。
現在は、ヤクルト二軍外野守備走塁コーチ。
ヤクルト一筋19年。
現在は、ヤクルト二軍外野守備走塁コーチ。
ヤクルト土橋勝征応援歌 95日本シリーズ第3戦 - YouTube
via youtu.be