船木誠勝 船木さんが「明日また生きろ」といってくれたからボクは今日も生きています。
2016年11月25日 更新

船木誠勝 船木さんが「明日また生きろ」といってくれたからボクは今日も生きています。

中学卒業後、新日本プロレス入り。その後、UWF、藤原組を経て、自らの団体「ハイブリッドレスリング パンクラス」を立ち上げた。「秒殺」という言葉が流行り「肉体改造法」はヒットした。ヒクソン・グレーシー戦では落ちても(失神しても)ギブアップしなかった(あきらめなかった)。

28,033 view
UWFのほうが自分を必要としてくれてるんじゃないか U...

UWFのほうが自分を必要としてくれてるんじゃないか UWFのほうが自分を必要としてくれてるんじゃないか 新日本より一選手として考えてくれてるなと思ったんです

――それで船木さんは(海外修行から)帰国後に新生UWFに参加されましたね

海外に行く前からUWFに移る話は決まってました
要は“引き抜き”ですよね
でも、誘われる前に海外の団体の契約書にサインしちゃったんですよ
前田さんも高田さんも「海外遠征はいい経験になるから行って来い」と

――UWFに移籍したのは格闘技を追求したかったからですか?

いやそういうわけじゃないですね
人間関係の近さです
新日本で藤原さんに稽古をつけてもらったり
前田さんや高田さんに飲みに連れてもらったりして
UWFのほうが自分を必要としてくれてるんじゃないか
新日本より一選手として考えてくれてるなと思ったんです
それで誘われたら二つ返事ですよね
新日本は自分ひとりいなくなっても困らないだろうと思いましたし
長州さん、藤波さんがいて、武藤さん、蝶野(正洋)さん、橋本(真也)選手もいる
自分ひとりくらい若手がいなくなっても大丈夫だろうと思ったんですけど、
猪木さんに引き止められましたよね
3日間にわたって話をしましたね

――猪木さんがそんなに時間を割いて説得するって凄いですね

いや、説得でもないんですよ
これから新日本プロレスが展開していく世界戦略の話ばかりで

――猪木さんお得意のロマンあふれる世界戦略プロジェクトですね

「ラスベガスで異種格闘技戦をやって賭けの対象にする
そこで日本人選手が必要だからそっちをやってくれ」と
でも、なんか具体的じゃなさすぎて


――ハハハハハハ! ジャッキー・チェンとの試合も提案されたんですよね

そうですそうです
自分の顔を売るために東京ドームでジェッキー・チェンとエキシビジョンマッチをやって、
そのあとにロブ・カーマンと異種格闘戦という話もされましたね
でも、夢過ぎて

――早すぎたUFO構想……というか、いまだに実現してないんですけど

自分としてはまったく夢のまた夢で
UWFのいち選手のほうが現実的ですよね
猪木さんは最後には「巡業に行かなくていい」とまで言い出して
でも、そんなことやったら会社の人や先輩レスラーに怒られるじゃないですか

――それはのちの小川直也や藤田和之に与えた待遇ですね

残っても新日本に居づらくなるので、UWFに移ったほうがいいなと思いました
もっと格闘技に近づけないとダメだ

もっと格闘技に近づけないとダメだ

でも、UWFに行ってみてわかったんですが、あそこまで格闘技寄りになってるとは思いませんでした
自分はちょうど海外に行っていたのでUWFの映像が見れてなかったんですよ
『週プロ』や『ゴング』に載った試合写真しか見れてなかったですけど
蹴って投げて極めるだけのスタイルになってるとは思いもしませんでした

――船木さんが格闘技の世界に飛び込みたかったんじゃなくて、行ってみたら格闘技スタイルになっていたという

そうなんです
自分はたしかに強さは強さで求めてましたけど、スタイルを格闘技にするという発想はなかったです

――新生UWFの頃って船木さんがイライラしたり、苦悩しているイメージあったんですけど……

はい
してましたね

――それはもっと格闘技に振り切りたくてイライラされていたじゃなかったんですか?

そうじゃないんです
UWFが格闘技スタイルに寄りすぎちゃってて最初から「?」マークがあったからなんです
それでUWFのときに骨折して半年くらい休んだことがあったんですけど
そのときにボクシングのビデオをいっぱい見たり
骨法を飛び出して小林千明さんという東洋太平洋のチャンピオンにボクシングを習ってました
そうしてるうちに、UWFをやるのであればもっと格闘技に近づけないとダメだと考えたんですね

――中途半端ではなく

いままでのプロレスのないかたちにするのであれば「もっと格闘技にするべきだ!」と
それを前田さんに言ったら「3年待ってくれ」と答えてくれたんです

――前田さんはまだその時期ではないと判断されたんですね

いきなりそこまでやっちゃうとメシは食えないというのが前田さんの考えだったんでしょうね
でも、自分はすぐにでも格闘技にしないと、このUWFがやってることがウソになると思ったんです

――改革と革命の違いがそこにあったのかもしれないですね
前田さんたちはそこまでやるつもりはなくて

俺は本当の革命にしたかったんでしょうね
自分も若かったですから
「早くやらなきゃ!」と
モタモタしていたら自分も歳を取っちゃうから

――ちなみに新生UWFの道場はどんな練習だったんですか?

船新日本と一緒ですよね
基礎体をやってひたすらスパーリングです
あとは各自出稽古ですよね

――前田さん、高田さん、山崎さん、藤原さんたちの足がUWF道場から遠のいって行ったのは本当ですか?

ホントたまに来るくらいですよね
若い選手は毎日来てました

――若手の中でも中野さんだけは単独行動だったんですよね?

中野選手は他人とぜんぜん関わらなかったんですよ
自分なんかが夜18時頃に練習が終わって帰るときに中野さんがやって来るんです

――夜中に新弟子と練習するんですよね

あと中野選手も小林さんにボクシングを教わってたんですよ
自分はジムに通ってたんですけど、中野さんは自分のマンションの屋上に小林さんを呼んで練習をやってたらしいんですよ

――マンションの屋上で
ホント他人には見られたくなかったんですね

道場で中野選手はお腹にサランラップ巻いて練習してて
帰るときにそのサランラップをリング上に置いていくんですよ
つまり「俺も練習をやっていったぞ!」という痕跡を残すんですよね

――どんなサインなんですか(笑)。

朝、道場に行くとサランラップがリングに落ちてるんですよ
それを見て「あ、中野選手が来てたんだな」ってわかって
そういうやりとりもUWFならでですよねぇ

プロフェッショナルレスリング藤原組

Fujiwara Yoshiaki 藤原 喜明 - YouTube

PWFG 藤原組
 (1559640)

 (1559641)

UWFが崩壊後
船木は
藤原喜明のプロフェッショナルレスリング藤原組に入った

Masakatsu Funaki vs Roberto Duran - MMA vs Boxing - YouTube

Masakatsu Funaki vs Roberto Duran - MMA vs Boxing
 (1558553)

伝説のボクサー、ロベルト・デュランと異種格闘技戦、
3R、腕固めで勝利

プロレス不穏試合 鈴木みのる 対 アポロ菅原 - YouTube

説明
――プロレスではときおり試合が崩れるというか、不穏な内容になったりしますね
たとえば藤原組時代の鈴木みのるさんがSWSでやったアポロ菅原さんの試合とか

はい
あのときは「いったい何をやってるんだろう?」と最初は戸惑いましたね
だから控室に帰ってきた鈴木に怒りました
「なんでちゃんとした試合をやらないんだ!?」って
そうしたら「向こうが先に指を折りにきたからやり返したんです」と
最初から菅原さんは普通に試合をする気がなかったんですよね
ただそれにしてもダラダラとやってたじゃないですか
だったら、とことんやるべきなんですよ

――徹底的に潰すべきだったと

鈴木は鈴木で「試合を成立させたかった」と言うんですけど
あのあとアポロさんと話をしたんですけど、「もう過ぎたことだから」って感じでぜんぜん気にしてなくて

――仕掛けた菅原さんとしてはもう気が済んだんでしょうね

試合中にああいうことにもなりかねいのでプロレスラーは強さが必要なんだなと思いますね

Hybrid Wrestling PANCRASE ハイブリッド・レスリング パンクラス

 (1559101)

船木は
パンクラスを立ち上げた
藤原組が解散して
残った選手が若手併せて6人残ったんですけど
自分の中では新日本に戻るって選択肢は無かったんですよ
戻ったらなんか
あの時はまだ20代の頃ですから
戻ったら負けっていう
そういう意識がありましたね
だから新日本に戻ることは無いって気持ちでじゃあどうしようかってなった時に
自分たちでやるしかないねって話をしていたんですよ
正直追い込まれてましたけどね
だからもう最終兵器、やるしかないっていう
で、これやろうと思うんだけどっていう風に自分が言ったんですよね
それでみんなに聞いたんですけど、賛成してくれました

Masakatsu Funaki vs Wayne Shamrock 1993 9 21 - YouTube

1993年9月21日 東京ベイNKホール 「YES,WE ARE HYBRID WRESTLERS」メインイベント 船木誠勝vsウェイン・シャムロック パンクラスの最新情報はコチラhttp://www.pancrase.co.jp
124 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

第2次UWF崩壊 弾け散ったパワー・オブ・ドリーム

第2次UWF崩壊 弾け散ったパワー・オブ・ドリーム

1984年4月11日に旗揚げした第1次UWFは、様々な事件と前田日明と佐山聡のケンカマッチを経て1年半で崩壊。屈辱の新日本プロレス出戻り生活も前田日明が暴れまくったため2年半で終了。再旗揚げした第2次UWFは、社会現象といわれるほど若者を熱狂させながら、2年7ヵ月の活動にピリオドを打った。
RAOH | 1,881 view
わが青春の第2次UWF   古い体質を持つ巨大組織に反発し、勝利!

わが青春の第2次UWF 古い体質を持つ巨大組織に反発し、勝利!

第1次UWFは1年半で倒産。新日本プロレスに吸収され、2年半、屈辱の出戻り生活を送るも、数々に事件を引き起こし、最後は解雇され、志高きロクデナシどもは再び立ち上がったのである。
RAOH | 2,917 view
7・24大阪!FMW・大仁田厚とUWF・船木誠勝が激突!!

7・24大阪!FMW・大仁田厚とUWF・船木誠勝が激突!!

FMW軍・大仁田厚対UWF軍・船木誠勝の完全決着戦が、24日の大阪大会で行われることになった。大仁田厚の持つ爆破王選手権に船木誠勝が時間無制限のシングルで挑む。過去の因縁も絡み、盛り上がりは必至だ!!
山崎一夫 「困ったときは山ちゃん」 みんなのために密かにがんばって密かに泣いて、そしてみんなに好かれている山ちゃん

山崎一夫 「困ったときは山ちゃん」 みんなのために密かにがんばって密かに泣いて、そしてみんなに好かれている山ちゃん

プロレス業界において ちゃんとしていてるイメージもある山崎一夫 「いや常識人というか、 ただ周りにそうじゃないひとが多かったんで、 新日本の道場に入って寮長が前田(日明)さんなわけで、 そこからおかしいじゃないですか(笑)」
RAOH | 41,651 view
前田日明 アキラ現れるところ乱あり

前田日明 アキラ現れるところ乱あり

前田日明をみていると その強さだけではなく なにか訴えかけてくるもの、メッセージ性を感じてしまう 前田日明には スタイルがあり 意志があり そして恐らく今も夢があり それを追い続けていることだろう
RAOH | 106,533 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト