――それで船木さんは(海外修行から)帰国後に新生UWFに参加されましたね
海外に行く前からUWFに移る話は決まってました
要は“引き抜き”ですよね
でも、誘われる前に海外の団体の契約書にサインしちゃったんですよ
前田さんも高田さんも「海外遠征はいい経験になるから行って来い」と
――UWFに移籍したのは格闘技を追求したかったからですか?
いやそういうわけじゃないですね
人間関係の近さです
新日本で藤原さんに稽古をつけてもらったり
前田さんや高田さんに飲みに連れてもらったりして
UWFのほうが自分を必要としてくれてるんじゃないか
新日本より一選手として考えてくれてるなと思ったんです
それで誘われたら二つ返事ですよね
新日本は自分ひとりいなくなっても困らないだろうと思いましたし
長州さん、藤波さんがいて、武藤さん、蝶野(正洋)さん、橋本(真也)選手もいる
自分ひとりくらい若手がいなくなっても大丈夫だろうと思ったんですけど、
猪木さんに引き止められましたよね
3日間にわたって話をしましたね
――猪木さんがそんなに時間を割いて説得するって凄いですね
いや、説得でもないんですよ
これから新日本プロレスが展開していく世界戦略の話ばかりで
――猪木さんお得意のロマンあふれる世界戦略プロジェクトですね
「ラスベガスで異種格闘技戦をやって賭けの対象にする
そこで日本人選手が必要だからそっちをやってくれ」と
でも、なんか具体的じゃなさすぎて
――ハハハハハハ! ジャッキー・チェンとの試合も提案されたんですよね
そうですそうです
自分の顔を売るために東京ドームでジェッキー・チェンとエキシビジョンマッチをやって、
そのあとにロブ・カーマンと異種格闘戦という話もされましたね
でも、夢過ぎて
――早すぎたUFO構想……というか、いまだに実現してないんですけど
自分としてはまったく夢のまた夢で
UWFのいち選手のほうが現実的ですよね
猪木さんは最後には「巡業に行かなくていい」とまで言い出して
でも、そんなことやったら会社の人や先輩レスラーに怒られるじゃないですか
――それはのちの小川直也や藤田和之に与えた待遇ですね
残っても新日本に居づらくなるので、UWFに移ったほうがいいなと思いました
でも、UWFに行ってみてわかったんですが、あそこまで格闘技寄りになってるとは思いませんでした
自分はちょうど海外に行っていたのでUWFの映像が見れてなかったんですよ
『週プロ』や『ゴング』に載った試合写真しか見れてなかったですけど
蹴って投げて極めるだけのスタイルになってるとは思いもしませんでした
――船木さんが格闘技の世界に飛び込みたかったんじゃなくて、行ってみたら格闘技スタイルになっていたという
そうなんです
自分はたしかに強さは強さで求めてましたけど、スタイルを格闘技にするという発想はなかったです
――新生UWFの頃って船木さんがイライラしたり、苦悩しているイメージあったんですけど……
はい
してましたね
――それはもっと格闘技に振り切りたくてイライラされていたじゃなかったんですか?
そうじゃないんです
UWFが格闘技スタイルに寄りすぎちゃってて最初から「?」マークがあったからなんです
それでUWFのときに骨折して半年くらい休んだことがあったんですけど
そのときにボクシングのビデオをいっぱい見たり
骨法を飛び出して小林千明さんという東洋太平洋のチャンピオンにボクシングを習ってました
そうしてるうちに、UWFをやるのであればもっと格闘技に近づけないとダメだと考えたんですね
――中途半端ではなく
いままでのプロレスのないかたちにするのであれば「もっと格闘技にするべきだ!」と
それを前田さんに言ったら「3年待ってくれ」と答えてくれたんです
――前田さんはまだその時期ではないと判断されたんですね
いきなりそこまでやっちゃうとメシは食えないというのが前田さんの考えだったんでしょうね
でも、自分はすぐにでも格闘技にしないと、このUWFがやってることがウソになると思ったんです
――改革と革命の違いがそこにあったのかもしれないですね
前田さんたちはそこまでやるつもりはなくて
俺は本当の革命にしたかったんでしょうね
自分も若かったですから
「早くやらなきゃ!」と
モタモタしていたら自分も歳を取っちゃうから
――ちなみに新生UWFの道場はどんな練習だったんですか?
船新日本と一緒ですよね
基礎体をやってひたすらスパーリングです
あとは各自出稽古ですよね
――前田さん、高田さん、山崎さん、藤原さんたちの足がUWF道場から遠のいって行ったのは本当ですか?
ホントたまに来るくらいですよね
若い選手は毎日来てました
――若手の中でも中野さんだけは単独行動だったんですよね?
中野選手は他人とぜんぜん関わらなかったんですよ
自分なんかが夜18時頃に練習が終わって帰るときに中野さんがやって来るんです
――夜中に新弟子と練習するんですよね
あと中野選手も小林さんにボクシングを教わってたんですよ
自分はジムに通ってたんですけど、中野さんは自分のマンションの屋上に小林さんを呼んで練習をやってたらしいんですよ
――マンションの屋上で
ホント他人には見られたくなかったんですね
道場で中野選手はお腹にサランラップ巻いて練習してて
帰るときにそのサランラップをリング上に置いていくんですよ
つまり「俺も練習をやっていったぞ!」という痕跡を残すんですよね
――どんなサインなんですか(笑)。
朝、道場に行くとサランラップがリングに落ちてるんですよ
それを見て「あ、中野選手が来てたんだな」ってわかって
そういうやりとりもUWFならでですよねぇ
プロフェッショナルレスリング藤原組
Fujiwara Yoshiaki 藤原 喜明 - YouTube
船木は
藤原喜明のプロフェッショナルレスリング藤原組に入った
Masakatsu Funaki vs Roberto Duran - MMA vs Boxing - YouTube
3R、腕固めで勝利
プロレス不穏試合 鈴木みのる 対 アポロ菅原 - YouTube
――プロレスではときおり試合が崩れるというか、不穏な内容になったりしますね
たとえば藤原組時代の鈴木みのるさんがSWSでやったアポロ菅原さんの試合とか
はい
あのときは「いったい何をやってるんだろう?」と最初は戸惑いましたね
だから控室に帰ってきた鈴木に怒りました
「なんでちゃんとした試合をやらないんだ!?」って
そうしたら「向こうが先に指を折りにきたからやり返したんです」と
最初から菅原さんは普通に試合をする気がなかったんですよね
ただそれにしてもダラダラとやってたじゃないですか
だったら、とことんやるべきなんですよ
――徹底的に潰すべきだったと
鈴木は鈴木で「試合を成立させたかった」と言うんですけど
あのあとアポロさんと話をしたんですけど、「もう過ぎたことだから」って感じでぜんぜん気にしてなくて
――仕掛けた菅原さんとしてはもう気が済んだんでしょうね
試合中にああいうことにもなりかねいのでプロレスラーは強さが必要なんだなと思いますね
Hybrid Wrestling PANCRASE ハイブリッド・レスリング パンクラス
パンクラスを立ち上げた
藤原組が解散して
残った選手が若手併せて6人残ったんですけど
自分の中では新日本に戻るって選択肢は無かったんですよ
戻ったらなんか
あの時はまだ20代の頃ですから
戻ったら負けっていう
そういう意識がありましたね
だから新日本に戻ることは無いって気持ちでじゃあどうしようかってなった時に
自分たちでやるしかないねって話をしていたんですよ
正直追い込まれてましたけどね
だからもう最終兵器、やるしかないっていう
で、これやろうと思うんだけどっていう風に自分が言ったんですよね
それでみんなに聞いたんですけど、賛成してくれました