日本リーグではヤンマー(現:セレッソ大阪)に所属し202得点を挙げJ1リーグを含めても歴代1位である。
引退後は指導者としてはヤンマーや松下電工(Jリーグ発足時のガンバ大阪)の監督を歴任している。また1995年から1期6年参議院議員務めている。
・1試合で約1得点は驚異的な記録ですね。釜本さんより出場している現役の岡崎選手やカズ選手が50点台なのと、当時の日本のレベルを考えるとなおさらのことだと思います。
小城得達(1970-1974)
月刊「サイゾー」最新号、発売中です。カルロス矢吹の連載「東京五輪1964-2020」では、サッカーで東京・メキシコ五輪に連続出場した小城得達さんを特集。小城さんは広島市に生まれ、2歳の時に被爆。高校生から本格的にサッカーを始め、中央大学在学中にA代表に選ばれ、クラマー氏の教えを受けました。 pic.twitter.com/Orrc7KZjdm
— カルロス矢吹 (@yabukih) March 19, 2018
引退後は東洋工業(現マツダ)の社員として定年まで勤める。現在は地元広島県サッカー協会の会長を務めている。
・現役時代は気性が荒かったようで他の選手は小城選手が抑えるが小城選手は誰も抑えられないというようなエピソードがあるようです。
八重樫茂生(1968)
・現役時代はエースストライカーとして活躍してましたが、日本リーグ時代は古河電工、富士通(現:川崎フロンターレ)の監督、Jリーグ発足後はアドバイザーという立場でサッカー界に貢献されていたようです。
キャプテンマークとは
たくさんのニュルンベルクのチームの人たちのツイートで長谷部さんの様子見て安心しました。どんな時でも支えてくれる仲間って本当に素敵だと思いました。日本代表のキャプテンマークをつけることは長谷部誠にしかできないことです。頑張れ長谷部誠。 pic.twitter.com/FQUuiTHGWz
— オ-スティン・マホタロ( ˙³˙) (@mono0425) January 16, 2014
サッカーでは左(右)の二の腕にアームバンドを着用して示している。これは1986年のメキシコワールドカップで優勝したアルゼンチン代表のキャプテンを務めたディエゴマラドーナが着用していたことが始まりとされる。
・今では規則のように当たり前となっていますが、ちなみにJリーグではアームバンドの着用が義務付けられているのに対し、FIFAの国際ルールでは改訂されていなければ着用の義務付けはないそうです。試合によっては意外にも必ず付けなくてもいいみたいですね。1986年からなのでまだ30年余りの歴史しかないんですね。