「3コーナーと直線で前が壁になる苦しい場面があった。直線に向いた時はヒシアマゾンをかわせる手応えだったが、スムーズに前が開かなくて……。最後は馬の底力に助けられた。こんな素晴らしい馬に乗せてもらいながら、なかなか結果を出せなかった。きょうの勝利で少しは恩返しができたと思います」。四位は殊勝な言葉で愛馬を讃えた。
1996年 第21回 エリザベス女王杯(GI) ダンスパートナー(四位洋文)
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続けてジャパンカップ、有馬記念へと挑戦しましたが、ともに掲示板にも載らない惨敗を喫し1996年シーズンを終わります。
再び海外挑戦!~そして引退へ
明けて6歳となったダンスパートナーの1997年初戦に選ばれたのは、なんと香港で行われるクイーンエリザベス2世カップ(芝2000m)でした。
並々ならぬ意欲で挑んだこのレースですが結果は8着と振るわず、その後も鳴尾記念、宝塚記念へ出走するもともに3着と惜敗に終わりました。
並々ならぬ意欲で挑んだこのレースですが結果は8着と振るわず、その後も鳴尾記念、宝塚記念へ出走するもともに3着と惜敗に終わりました。
秋になり京都大賞典を初戦に選択しましたが結果は2着。続いてエリザベス女王杯で連覇を狙うもエリモシックのクビ差2着に惜敗しました。
そしてこの年の有馬記念(14着)を最後に、ダンスパートナーは引退。
日本、フランス、香港と世界を駆け巡った才女の競走馬人生は終幕を迎えました。
そしてこの年の有馬記念(14着)を最後に、ダンスパートナーは引退。
日本、フランス、香港と世界を駆け巡った才女の競走馬人生は終幕を迎えました。