1974年にリリースされたアルバム「紫の炎」、ここから第3期が始まります。イアン・ギランという最高のボーカリストが去り、当時無名だったデイヴィッド・カヴァデールと交代することになります。不安いっぱいの船出でしたが、それは杞憂に終わります。
アルバム「紫の炎」は最高の出来で、全英3位、全米9位、日本11位と世界的なヒット作となりました。
アルバム「紫の炎」は最高の出来で、全英3位、全米9位、日本11位と世界的なヒット作となりました。
via www.ticro.com
日本とアメリカではアルバム「紫の炎」から同名曲がシングルカットされましたが、イギリスでは「紫の炎」はB面で、A面は「テイク・ユア・ライフ」となっています。
Deep Purple - Burn 1974 Live Video
紫の炎
via www.youtube.com
Lady Double Dealer
1974年のアルバム「嵐の使者」からシングルカットされたのが「嵐の女」です。ギタリストのリッチー・ブラックモアは「最低のアルバムだ」とインタビューで答えていたすが、それを証明するかのようにこの作品を最後に脱退してしまいます。
第3期最後のスタジオ作品となってしまいました。
第3期最後のスタジオ作品となってしまいました。
日本ではアルバムから「嵐の女」がシングルカットされましたが、本国ではこの時期シングルはリリースされていません。
リッチー・ブラックモアが「最低だ」と吐き捨てたこのアルバムですが、全英6位、全米20位、日本22位と商業的には問題なくヒットしています。
リッチー・ブラックモアが「最低だ」と吐き捨てたこのアルバムですが、全英6位、全米20位、日本22位と商業的には問題なくヒットしています。
Deep Purple: Lady Double Dealer (live)
嵐の女
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You Keep on Moving
1975年リリースされた10枚目のスタジオ・アルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」。看板ギタリストだったリッチー・ブラックモアに代わってトミー・ボーリンが加入した第4期となります。
アルバムの評価は芳しいものではなく、セールス的には全英19位、全米43位でした。
アルバムの評価は芳しいものではなく、セールス的には全英19位、全米43位でした。
via www.discogs.com
「キープ・オン・ムーヴィング」がシングルカットされましたが、アルバム同様こちらも大きな成果をあげることは出来ませんでした。
Deep Purple -- You Keep On Moving
キープ・オン・ムーヴィング
via www.youtube.com
アルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」後にはツアーを行うも、デイヴィッド・カヴァデール、トミー・ボーリン、グレン・ヒューズと次々に脱退を表明し、ディープ・パープルは事実上の解散状態となります。
1984年に、第2期のメンバーで活動を再開させることになるのですが、やはりこのメンバーが最高、最強ですね。
ただ残念なことに70年代当時の勢いを取り戻すことはできないまま、またメンバーチェンジを繰り返すことにまります。
それでも現在でも活動を続けているのですからファンにはたまらないですね!いつまでも頑張ってほしいものです。
1984年に、第2期のメンバーで活動を再開させることになるのですが、やはりこのメンバーが最高、最強ですね。
ただ残念なことに70年代当時の勢いを取り戻すことはできないまま、またメンバーチェンジを繰り返すことにまります。
それでも現在でも活動を続けているのですからファンにはたまらないですね!いつまでも頑張ってほしいものです。