永遠の憧れはカール・ルイス!1995年、日本人で初めて100m9秒台を体感した男「伊藤喜剛」!!
2017年8月7日 更新

永遠の憧れはカール・ルイス!1995年、日本人で初めて100m9秒台を体感した男「伊藤喜剛」!!

2017年、日本国内で男子100mは空前の盛り上がりを見せています。夢の9秒台はもうすぐそこ!この日本人9秒台、かつてまだ計測が手動計だった時代に追い風参考ながらも体感した男がいます。「伊藤喜剛」現代とはトレーニング法も異なった20年以上前に、100m9秒台の風を感じた男の半生に迫ります。

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大学進学…まさかのボブスレー日本代表??

-大学入学後はトップアスリートとしての道を歩まれましたか?
そうでもないというか・・・。

高校から記録が伸びて、高校生の全国ランキング7位くらいになってたので、7校くらいの大学から推薦はきました。

面白いのが「ボブスレーをやらないか?」という話もありましたね。夏は陸上をやってよくて、冬だけボブスレー。ボブスレーに力を入れようみたいな動きが出てきた時で。「もしうちの大学に来てくれたら、3年間日の丸つけさせることを約束する」というようなお話でした。

でも今だとボブスレーの映画がヒットしたりして競技を知ってる人も多いですけど。『クール・ランニング』でしたっけ?あの映画よりも前の話ですからね。躊躇しますよ。ジェットコースターが苦手なのもあって、結局はお断りしました。やっぱり僕はカール・ルイスになりたかったですから。

好不調の波、怪我にも苦しんだ大学時代

僕が入った日体大の陸上部は当時700人いました。もちろん幽霊部員もいますけど、大体グラウンドに400人はいて、短距離・中距離・長距離・投てき・跳躍etc...短距離だけでも120人とかいるわけです。その中から1~4年生まで含めて100mには関東インカレは3人、全日本インカレは2人しか出場できない状況でしたけど、1年生の時に関東インカレに選ばれて、なんとか準決勝まで行くことができました。

そこからはケガ続きで・・・。
2年生の時もケガして、ただケガしつつもインカレには出場でき、国体にも選ばれて5位になりました。3年生の時にもまたケガをして、その年はインカレに出られませんでした。

ようやく4年生の時にパッとした記録が出はじめて、夏過ぎに地元の県選手権に出場したら自己ベストを連発しました。そこから秋の全日本インカレに出たら6位に入り、最後の締めは国体で2位になって、全日本の合宿にも呼んで頂きました。

大学の時はケガしたり、良かったり、ケガしたり、良かったり、・・・そんな感じでした。
-アスリートにはどうしても怪我はつきものなんでしょうね。
そうですね。肉離れが多かったですね。

どうしても大会に向けて調子を上げていくじゃないですか。良い選手は腹八分目でやめておくんですよ。直前の2日、3日は腹八分目でやめておいて、試合の時に100%で走れるようにするんですよね。

でも僕は試合の前日とか前々日とかに調子がいいもんだからガンガン走っちゃって、そしたらブチッと肉離れするわけですよ。で、試合当日テーピングぐるぐる巻きにして出るから怒られました。本当に何度も怒られましたね(笑)
-現代では「良い準備をする」という言葉が浸透しています。
娘が陸上をやってますけど、見に行くと僕の時とはウォーミングアップが全然違いますね。

僕の時はウォーミングアップから100%で走って、「よし、行けるぞ!」なんて感じで気合いを入れてたのに、娘はテレテレテレテレやってるんですけど、それでもベストタイムとかで走れてるんですよね(笑)

昔、日本代表になって武者修行として海外遠征へ行った時があるんですけど、その時も世界のトップ選手はウォーミングアップがみんな短かかったですよね。

僕が一番最初にグラウンドに行って、ストレッチしたり入念に準備していると、後からどんどん他の選手が来て、ようやく僕がウォーミングアップを終えて本格的に走ろうとすると気が付くと周りの選手はもう誰もいないんですよね。僕が一番長くウォーミングアップしていて、逆に僕は長過ぎたみたいです。

他の選手をよく観察しているとポイントを絞ってウォーミングアップしてるんですよ。グラウンドでは本当に最後の調整だけといった感じでした。

同様に今の高校もメリハリがきいていて、それで結果が出ているので、良いやり方なんでしょうね。

メディアの洗礼を浴びたトップアスリート時代

現役時代の伊藤喜剛選手

現役時代の伊藤喜剛選手

「PHYSICAL LIFE」伊藤喜剛オフィシャルブログより。
-1995年、イェーテボリ(スウェーデン)世界陸上では男子4×100MRでアンカーを務められました。結果は当時の最高位だった5位入賞でした!
はい、短距離勢の順位としては当時1番となる結果が出た大会でした。

決勝でアンカーの僕のところまで4位で来たんですよ。4位と5位が競ってる感じで、競ってたのはジャマイカチームでした。当時ジャマイカは強くはなかったですけど、アンカーが9秒台で走る選手で・・・僕のところでドカーンと抜かれて5位になってしまいました。
-でも史上最高の成績でしたよね!?
4位でバトンを受け取ったので、1つ順位を上がればメダルだったんですよね。抜かれると思ってはいなかったですけど、決勝になってパッと横を見たら、金メダリストとかがずらーっと並んでるんですよ。僕は4走のアンカーでしたから。多少ビビりながらも決勝が始まったら、僕のところに4位で来たわけですよ。当時の僕は100mを10秒22だったので、相手が9秒台だとよくよく考えたら抜かれますよね。

今の選手よりも緊張もしてたと思います。世界陸上で決勝に残ったのは僕らが最初でしたから。僕らはなんとか勝ち抜いて、決勝に残ったことで「ふぅー」と一息つくような感じでしたから。今考えればもっと自分が強ければ良かったんでしょうけど、なかなか難しかったです。

で、帰国して当時住んでた水戸へ成田空港から帰る時、電車でスポーツ新聞を広げてる人を見たらバァーンと「伊藤抜かれた!」とか書いてあるわけです・・・。“世界大会5位の快挙”という自信もありましたけど「抜かれちゃってすいません」ってしばらくは謝ってました。
史上最高位の勲章、にも関わらず受けたバッシング。
まさにトップアスリートならではの苦悩だったのではないでしょうか。

怪我との戦いだったアスリート時代に出会った「加圧トレーニング」

-伊藤さんは加圧トレーニングのトレーナーとしても有名でいらっしゃいます。「加圧」とはどのようにして出会ったのでしょうか?
僕がはじめたのは1998年で、その頃は肉離れが治らない時でした。「トレーニングジャーナル」という雑誌を読んでたら、加圧トレーニングをして肉離れが改善したという記事が載ってたんですよ。

「トレーニングをして肉離れが治るか!」と思いましたけど、気になって直接電話して聞いてみることにしました。そしたら佐藤先生(加圧トレーニングの創始者)が電話に出て、「大丈夫です。すぐ治りますからいつでも来てください」と言うので、水戸から訪れたんです。

最初はベルトを巻かれて座ってたんですよ。そのうち佐藤先生から「はい、ジョギングしてみましょうか」と言われて。僕は水戸から足を引きずりながら来てるわけですよ。「座ってただけで、いきなりジョギング出来るわけないじゃないですか!痛いのに先生は何を言ってるんですか!」って僕は言いましたよ。

「じゃあ、ゆっくり歩いてみようか」と佐藤先生が言うので、言う通りに歩いてたら段々と痛みが取れてきて「あれ!?痛くない」と先生に伝えたら「そうなんですよ、血流が良くなりますから」なんて当たり前みたいに言ってくるわけです。

それで佐藤先生が「そろそろ腿上げ出来るんじゃないですか?」て言ってきて、「何言ってるんですか?水戸から足を引きずって来たヤツが腿上げ出来るわけないじゃないですか!」って反論すると「じゃあ、軽くその場で足踏みとかしてみたらいいんじゃない?」って言われてまたその通りにしてると段々腿上げも出来てきて・・・痛くないわけですよ。

そしたら佐藤先生に「ダッシュできるんじゃない?」と言われて、僕は「さすがにダッシュは無理でしょ」と思いつつ、やってみたらダッシュ出来るわけです。「えー!?なんですか!?コレ」ってなりますよね。
-まさにご自身の実体験を通して加圧トレーニングの理論を学ばれたのですね。
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