19(ジューク)
バンド『19(ジューク)』
日本のフォークデュオ。岡平健治と岩瀬敬吾によるデュオ。デビュー当初は326(みつる)がビジュアルプロデュースと作詞を担当するメンバーとして参加していた。ネオ・フォークの生みの親]。2002年3月解散
メンバーは、
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19のデビュー曲はこちらです。
あの青をこえて/19 - YouTube
作詞:326 作曲:イワセケイゴ
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大ヒットとなった曲『あの紙ヒコーキ くもり空わって』
1999年春にTBSテレビの「1999・春」キャンペーン・ソングに2ndシングル「あの紙ヒコーキ くもり空わって」が起用されたことによりヒット。そのことがきっかけで、TBS系列『うたばん』内で注目の若手枠に出演。
1999年に『NHK紅白歌合戦』初出場を果たす。その際、326は応援に登場し、19が歌うバックには326によるイラストが掲げられた。これが決定打となり、当時ゆずを中心に復興を遂げていたフォークは「ネオ・フォーク」と言う新ジャンルとして認知されるようになる。
「あの紙ヒコーキ くもり空わって」 - YouTube
紅白の時の映像
via youtu.be
326と『あの紙ヒコーキ くもり空わって』のちょっとしたエピソードを紹介します。
326は、「あの紙ヒコーキ‐」が大ヒットした人気絶頂時、3億円ほどを稼ぎ出していたと推定されるが、実際には「手取り10万円いくかいかないか」だったことを告白。当時所属していた事務所には「芸能界は大変な世界で、売り出すのにお金がかかる」と言われ、納得していたとも話した。
この曲凄くいい曲で何度も聴きました。芸能人の方でもこの曲で励まされた人はいるようです。
3ndシングル~解散までを振り返る。
3rdシングル「すべてへ」ではオリコンチャート1位を記録。以降、事実上326はメンバーを脱退。それまでフォーク色の強かった作風が、ロックテイストのものに変化していく。
当初は3人組で売り出した19だったが、いつのまにか、事務所の方針で2人組ユニットに。敬吾と共作で手がけていた作詞についても、「『これはちょっとどうだろう、敬吾(の作詞)ってことで…』ということはありました」と内情を326は明かした。