1994年には、イワン・ハシェックと抜群のコンビで、広島のサントリーシリーズ優勝の原動力となった。しかし、同年のJリーグチャンピオンシップの第2戦でアキレス腱を断裂。
以後、常に故障に悩まされ続けるも、「怪我をネガティブに考えたことは一度もなかった」(高木談)というプラス思考で広島の中心選手として活躍を続ける。
変化を求めての移籍
高木は変化を求める。2度目の移籍を決意するのだ。
「30歳ぐらいで転職する人、多いでしょう? それはやっぱり、経験を積んでいるからですよ。周りを見て、自分がどういう方向へ進めばいいのかが分かるんだと思う。僕の場合もそのまま広島に残ることはできたけれど、環境を変えてみたかった。自分のなかでマンネリ化があって、新しい刺激を求めていたところがあったんです」
広島からヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)へ移籍した高木は、2シーズン後にさらに北へ向かう。J2のコンサドーレ札幌へ新天地を求めるのだ。
札幌に移籍した今年は、キャンプ、シーズンはじめこそ、リハビリを続けていたが、シーズン途中からはJ2の公式戦17試合に出場。Jリーグ通算200試合出場も達成。
それでも、一度痛めたひざの状態は、全盛期のころの状態まで復活せず、シーズン無得点に終わった。今シーズンはこの後、最後の公式戦として天皇杯はプレーを続け、その後は指導者への道を探す予定。
アジアの大砲として名を馳せた全盛期。
自身の全盛期がJリーグの開幕と重なり、順風満帆に見えたサッカー人生でしたが、晩年は怪我に苦しみました。
しかし、本人はあくまでも前向きに捉え、リハビリや練習を怠りませんでした。
それが怪我してからも、長期間プロとして活動が出来た秘訣なのでしょうね。
自身の全盛期がJリーグの開幕と重なり、順風満帆に見えたサッカー人生でしたが、晩年は怪我に苦しみました。
しかし、本人はあくまでも前向きに捉え、リハビリや練習を怠りませんでした。
それが怪我してからも、長期間プロとして活動が出来た秘訣なのでしょうね。