1981年 ダブルエース
初めて開幕投手を任されたのは81年。「江川さんじゃなくて、俺なんだ。やっと一歩前に出られたかな」という思いで、世間も認めてくれたかなと。そのあたりから、江川さんも僕のことを意識してくれたんじゃないかな。
1981 西本聖 1 - YouTube
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日本シリーズでは、西本は第2戦に投げ、2安打1失点の完投勝利。第5戦では13安打を打たれながらも、シュート攻めで4つのダブルプレーを打たせ完封勝利を収めた。
その年の日本シリーズです。第1戦、江川さんが先発してチームは負けました。はしゃいだり、顔に出したりはしませんでしたが、心の中では、江川さんが負けたことを喜んでいた。僕の中で、「よし、打たれろ」というのがありましたから。
【巨人9―0日本ハム】136球目のストレートは外角低め。日本ハムの代打、山本桂内野手はバットを出したものの、申し訳程度。全くついていけず、空振り三振となると、マウンド上の巨人・西本聖投手は右腕で派手なガッツポーズをつくり、喜びを爆発させた。
1981年日本シリーズ 巨人vs日本ハム 第5戦 - YouTube
西本聖 高橋一三 中井康之 平田薫 原辰徳 篠塚利夫 藤田元司
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第6戦に勝った巨人はV9達成の73年以来の日本一となった。4勝のうち西本と江川卓投手で2勝ずつを挙げたが、MVPは投球内容からみて文句なく西本が選ばれた。
米ベロビーチキャンプ中、夫人が自宅のガス爆発事故でやけどを負い入院。緊急帰国したが、その翌日から焼け跡からグラブを探し出し、焦げたジャージを見つけ出してトレーニングをした。「僕はプロ。女房に付き添ってばかりだと逆に心配をかける。これでシーズンに入って勝てなかったら、それこそ申し訳ない」と練習は休まなかった。シーズン18勝とシリーズの2勝で計20勝。ドラフト外入団から7年目、入団会見ではひな壇の後列に立たされ、うつむいていた高校生は最高の笑顔で後楽園球場をゆっくりとオープンカーで一周した。
江川の5冠王と西本の沢村賞
西本聖
34試合 14完投 3完封 18勝12敗 257 2/3回 126奪三振 勝率.600 防御率2.59
江川卓
31試合 20完投 7完封 20勝6敗 240 1/3回 221奪三振 勝率.769 防御率2.29
34試合 14完投 3完封 18勝12敗 257 2/3回 126奪三振 勝率.600 防御率2.59
江川卓
31試合 20完投 7完封 20勝6敗 240 1/3回 221奪三振 勝率.769 防御率2.29
江川卓は、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、最多完封の投手5冠王に輝き、シーズン終了後にはMVP、ベストナインを受賞した。
しかし、沢村賞は西本が獲得し、このことが物議を醸した。
しかし、沢村賞は西本が獲得し、このことが物議を醸した。
第一報を聞いたのは、確か多摩川グラウンドで練習していた時だったと思います。率直に「江川さんじゃないの? 冗談だろ?」って。江川さんに勝ったという喜びすらなかった。そこからはもう、僕に対する批判が巻き起こりましたからね。「何で20勝の江川じゃなくて、18勝の西本が獲ったんだ?」って。チーム内からさえも、「おかしい」って声があったほどです。何も裏で手を回したことなんて絶対にないし、投票の権利を持っている人たちが選んだだけなのに‥‥。何だか、僕が悪者になったような時期がありました。あの当時はスポーツ新聞の一面がジャイアンツでないと売れない時代でしたから、全て一面、僕が悪者のような形で新聞に叩かれたわけです。「何で僕がそこまで言われなきゃいけないの?」とすごく心を痛めました。一方で、それはしかたのないこととも思った。それを見返すためってつもりはないけれど、さっきも言ったように認めてもらうには勝つしかないんですよ。
この問題を受け、翌82年に、沢村賞の選考基準が作成され、記者投票から元プロ野球投手による「選考委員会」により選出されるように改められた。
1983年 日本シリーズ
第1戦の巨人先発は江川。1回に1失点、2回に5点を奪われノックアウト。巨人は江川で初戦を落とした。
第2戦は西本。西本は81年の日本シリーズ第5戦に続く2試合連続の完封勝利。
第3戦は槙原寛己。9回裏に中畑清のサヨナラヒットで巨人2勝目。
第4戦は再び江川。江川は6回まで投げ、6回裏に江川自らタイムリーヒットを放ちリードするが、リリーフの加藤が打たれ逆転負け。
第5戦は再び西本。西本は2失点をするものの完投。巨人は9回裏にクルーズがサヨナラ3ランホーマーを放ち、巨人が日本一に王手をかける。西本のシリーズ2勝目。
第6戦は槙原。しかし、舞台裏では大きな決断が下されていた。第7戦は順番でいけば江川が先発のはずだが、この試合を落とした場合の最終戦の先発を告げられていたのは、西本だった。
第2戦は西本。西本は81年の日本シリーズ第5戦に続く2試合連続の完封勝利。
第3戦は槙原寛己。9回裏に中畑清のサヨナラヒットで巨人2勝目。
第4戦は再び江川。江川は6回まで投げ、6回裏に江川自らタイムリーヒットを放ちリードするが、リリーフの加藤が打たれ逆転負け。
第5戦は再び西本。西本は2失点をするものの完投。巨人は9回裏にクルーズがサヨナラ3ランホーマーを放ち、巨人が日本一に王手をかける。西本のシリーズ2勝目。
第6戦は槙原。しかし、舞台裏では大きな決断が下されていた。第7戦は順番でいけば江川が先発のはずだが、この試合を落とした場合の最終戦の先発を告げられていたのは、西本だった。
1983 西本聖 2 シュートで日本シリーズ完封 - YouTube
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試合は、8回裏を終わって、2対1と西武がリードし、最終回を迎えていた。
この試合、西本には登板予定がなく、それでも勝てば胴上げだったため、ベンチには入っていた。そして、江川はいざというときの登板に備えて、ブルペンでスタンバイしていた。ところが9回表、巨人が逆転した直後、ブルペンで2人は並んで投げ始める。