角田信朗  冷徹なリングでモロに感情を露出させる愛と涙と感動のファイター!
2018年5月24日 更新

角田信朗 冷徹なリングでモロに感情を露出させる愛と涙と感動のファイター!

K-1や空手のトーナメントでの優勝経験ナシ。 なのに正道会館の最高師範代であり、メディアへの露出度も多い。 特筆すべきは彼の試合は、その人間性や感情があふれ出てしまうこと。 これは選手としても、レフリーとしてもそうで、インテリとむき出しの感情を併せ持つ愛と涙と感動の浪花男なのである。 最近、ダウンタウンの松本人志との騒動が話題になり、角田信朗の人間性を批判する人もいるが、私はその批判している人の人間性を疑っています。

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空手バカ一代・空手道おとこ道 karatebakaichidai

高校入学時50㎏だった角田信朗の体は徐々に変化した。
腕立て伏せは、拳立て伏せから指立伏せに、そして親指2本でできるようになった。
極真空手の猛者はスクワットを1000回こなすと書いてあったので、これにもチャレンジ。
最初は200回だったが、太腿をパンパンに張らせ激痛を感じながら回数を増やしていった。
学校でも休み時間になるとトレーニング。
校庭に木材が落ちていたら手刀で折った。
家に帰ると走り込み。
そしてバーベル。
鉄下駄をはいて蹴りの練習。
葦の上を飛び。
気合と共に仮想敵に突きや蹴りを繰り出した。
高校2年生の誕生日にサンドバッグを買ってもらい、家にはかけるところがなかったので表の電柱にかけて延々と叩いた。

極真会館芦原道場

『ケンカ十段芦原英幸』 空手バカ一代 karatebakaichidai

体ができてきた角田信朗はいよいよ極真空手に入門しようと思った。
そこで雑誌で家の近くの極真の道場を調べてみたが、何故か大阪の道場だけ載っていなかった。
その頃、マンガ「空手バカ一代」で主人公の大山倍達をしのぐ人気を得た四国支部長:芦原英幸は、関西にまでその支部を広げた。
そのため縄張り争いが起きて、総本部から四国以外に支部を出さないように釘を刺されている頃だった。
角田信朗は中学時代に少林寺拳法の試合で大阪府立体育館に来たとき、隣接する大阪球場で「極真空手会員募集」のポスターをみたのを思い出した。
自宅のある奈良県大和郡山からナンバの大阪球場まで電車で40分到着。
入り口には「国際空手道連盟 極真会館 芦原道場」とあり、道場では200名が稽古をしていて、気合と熱気があふれ出ていた。
角田信朗はそれから1週間、この道場に通い見学し続けた。
そして自宅の庭道場で、真似をして稽古した。
見学していて特に印象的だったのがキックミットだった。
弟にキャッチャーミットをはめさせ、その上に座布団を3枚重ね巻き自転車のゴム紐で縛りつけキックミットとし、そこに技を叩き込んでいく。
サンドバッグと違ってミットの持ち手が動くことでより実戦的な稽古ができたが、高校受験を控えた弟は手が震えてペンが持てず勉強ができなかった。

極真空手総裁 大山倍達館長講話

奈良県文化会館で大山倍達の講演会が行われたとき、角田信朗は6時間目の授業をサボっていった。
約1時間の講演後、1枚2000円のサイン会があり、帰りの電車賃が足りなくなるが列に並び、色紙にサインをしてもらい握手もしてもらった。
その手はグローブのように厚かった。
角田信朗は色紙を抱え家まで1時間半歩いて帰り、ガレージのトレーニング場に色紙を神棚のように飾った。

奈良公園 転害門~鼓阪小学校~大仏池で出会った鹿さん

1979年2月、芦原道場奈良支部ができた。
近鉄奈良駅からバスで15分くらいのところにある鼓阪小学校の教員であり茶帯の坂部保が、週3回、体育館で教えていた。
角田信朗はすぐに入門した。
しかしこの道場は、技術を重視した合理的な稽古だった。
地獄稽古に向け数年間で50㎏から63㎏まで増量していた角田信朗は物足りず、坂部保のアドバイスを得て、ナンバの大阪球場の道場へ出稽古に行った。
ちなみに鼓阪小学校は明石家さんまの出身校である。

師 石井和義

seido

ナンバの大阪球場の道場は、正式には「極真会館芦原道場大阪支部」といい、石井和義が指導していた。
石井和義は、愛媛県で生まれ、テレビドラマ「キイハンター」の千葉真一の影響で高校で器械体操を始めた。
やがて偶然みかけた宇和島の芦原道場に入門し、わずか2年で黒帯になった。
大学受験に失敗し、大阪に住む兄の家に住み浪人。
アートスクールに通いながら東京芸術大学を目指した。
(ちなみに石井和義の父は画家。
横山大観の弟子で横山と一緒に中国本土へ渡り淡彩画を学んでいたが、終戦後、その夢が閉ざされ、自転車屋を営んだ)
しかしアートスクールの学生はみんな絵が上手く、石井和義は進学を諦め大阪の貿易会社に就職していた。
1975年、22歳の石井和義は芦原英幸に関西での極真空手の普及を命じられた。
大阪球場内の文化教室で極真会館芦原道場大阪支部を設立し、当初は昼はサラリーマン、夜は空手の先生という生活を送った。
神戸、京都、奈良、堺市、岡山と拡大させていき、会社を辞め空手に専念。
月々の収益、数百万円を芦原英幸に送ったが、石井和義の月給は11万円だった。
27歳のとき、貯金を食いつぶしてしまったため昇給を懇願し、12万円に昇給してもらった。

極真空手第9回全日本大会決勝戦 東孝vs中山猛夫 KyokushinKarate 9th All-Japan tournament final

またこの道場には、マス大山空手スクール出身第1号で極真空手の全日本大会でも活躍していた前田比良聖や、空手歴半年の緑帯でいきなり極真空手の全日本大会の決勝まで進んだ中山猛夫もいた。

Kazuyoshi Ishii History

石井和義の指導は、
「いいですかぁ?」
「わかりますかぁ?」
「じゃあやってみて下さい」
と丁寧で理論的、
そして
「わぁすごい!」
「強い突きだね!」
とホメ上手だった。
稽古後、角田信朗も石井和義に声をかけられた。
「上手いねえ。
何かやってたの?」
そして石井和義は
「みんなでお茶でも飲みにいかない?」
と周囲をお茶に誘い、角田信朗にも
「君もどう?」
といった。
「押忍、ありがとうございます
ただ自分は明日試験がありますので今日はこれで失礼します」
「えー、君、大学生なの?」
「押忍、いえ、高校生であります」
「高校生!?
老けた顔してるねえ。
子供でもいるのかと思ったよー
ハハハ。」

「極真会」から「芦原会館」へ

八幡浜~久しぶりだな~おまえ練習してたのか?

芦原英幸は3週間に1度くらい関西を訪れ、角田信朗が練習する奈良支部でも指導を行った。
稽古後、芦原英幸が角田信朗にいった。
「お前、明日時間あるか?」
角田信朗は授業があったが
「押忍。
大丈夫です」
と答えた。
「俺、奈良は初めてじゃけん、明日ちょっと案内してくれよ」
翌日、角田信朗はホテルに迎えに行き、東大寺や奈良公園などを案内した。
奈良公園で足に釣り糸が絡まってしまって動けなくなった鳩を見つけた芦原英幸は、鹿せんべいを売っていたおばちゃんにはさみを借りて、糸を丁寧に外した。
芦原英幸は大山倍達の命で四国で極真空手を広めるため東京からやってきた当初は、道場生も少なく、アルバイトをしながら指導していた。
脚をケガしてもお金がないので医者にも行けず杖をついて指導した。
腹が減って道場生の頭がカツ丼にみえることもあったが、努めて明るく振舞い、決して弱さはみせなかった。
そんなときに栄養失調の捨て犬を拾い、どこに行くにもつれていき、犬も芦原英幸から離れなかった。
自分がいなければ生きていけない犬の存在と厳しい稽古をがんばる道場生が芦原英幸のがんばる原動力となり、そして練習後のバカ話が楽しくて仕方なかった。
角田信朗は鬼のように強いケンカ10段がみせるやさしさに感動した。
 (2008090)

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