角田信朗  冷徹なリングでモロに感情を露出させる愛と涙と感動のファイター!
2018年5月24日 更新

角田信朗 冷徹なリングでモロに感情を露出させる愛と涙と感動のファイター!

K-1や空手のトーナメントでの優勝経験ナシ。 なのに正道会館の最高師範代であり、メディアへの露出度も多い。 特筆すべきは彼の試合は、その人間性や感情があふれ出てしまうこと。 これは選手としても、レフリーとしてもそうで、インテリとむき出しの感情を併せ持つ愛と涙と感動の浪花男なのである。 最近、ダウンタウンの松本人志との騒動が話題になり、角田信朗の人間性を批判する人もいるが、私はその批判している人の人間性を疑っています。

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西太后の言葉に打ちのめされた角田信朗にトピックスが舞い込んだ。
翌年1990年6月2日に行われる極真空手の第7回全日本ウエイト制大会に正道会館も出場するというのだ。
これまで極真を破門された芦原英幸の弟子である石井和義の正道会館と極真会館と交流がなかった。
しかしこの度、大山倍達は「空手界の大同団結」を呼びかけ、正道会館の選手の出場が認められたのである。
夢の「地上最強の極真カラテ」に挑戦できるのである。
角田信朗の心は燃え上がった。
出社すると社長と西太后に正道会館の全日本大会での不甲斐なさを詫びた。
そして極真のウエイト制大会への挑戦を報告した。
社長は快く受け入れ、これまで通りのバックアップを約束した。
角田信朗は週3回は神戸支部、残り3日を大阪の総本部で稽古した。
大阪へ行く日は18時に仕事を終え、大きなバッグを抱えて阪急電車に乗り19時からの代表選手の特訓に参加した。
正道会館の試合ではOKだが極真空手の試合のルールでは禁止されている「掴み」を禁止した組手が延々と続き、その後は一気に5連打する地獄のキックミット5連打。
最終電車に間に合うギリギリまで稽古は続いた。
通常ならJR環状線の天満駅から1駅乗って大阪駅までいき、神戸線に乗り換える。
角田信朗の家は阪急電車の王子公園駅から徒歩5分。
しかし阪急電車は終わっているので、JRで灘駅まで帰り、そこから家まで40分歩いた。
そして翌朝8時45分に出社した。
浪花の出戻り男、1度目の復帰であった。
 (2008155)

神戸支部での稽古を王子公園で陸上トレーニングに替えることもあった。
ウォーミングアップで、腕立て伏せ50回&ジャンピングスクワット50回×10セット。
それが終わるとインターバルダッシュ。
とどめは王子公園の入り口から山へ向かって伸びる500mの坂を地獄ダッシュ。
200mくらいで息ができなくなり、残り300mは無酸素状態。
ゴールするとよだれと鼻水だらけになった。
最初は1本もできなかったが、極真ウエイト制大会までに5本こなせるようになった。

極真アーカイブス 第7回 全日本ウエイト制 1回戦 角田信朗 vs 朴 健宏

正道会館襲来!角田信朗 Nobuaki Kakuda kyokushin

1990年6月2~3日、極真会館が主催する第7回オープントーナメント全日本ウエイト制空手道選手権大会が大阪府立体育館で開催された。
他流試合において、すべての大会で上位を独占し「常勝軍団」といわれた正道会館だったが、極真空手は心技体共にレベルが違った。

極真アーカイブス 第7回 全日本ウエイト制 準々決勝戦 岩崎達也 vs 柳澤聡行

軽量級、中量級、重量級の3階級に12名の選手を送り込んだが、2日目の準々決勝に進めたのは重量級にエントリーした柳澤恥行と角田信朗だけだった。
そして柳澤恥行は、この大会で優勝する岩崎達也に判定負けした。
残るは角田信朗だけだった。

Kyokushin karate 極真空手 衝撃KO 角田(正道会館)VS井口

角田信朗の次の相手、準々決勝の相手は、井口勝利だった。
「ゼッケン210番!角田伸朗選手!」
試合場に上がり正面を向くと大山倍達と目が合った。
大山倍達はニヤッと笑った。
試合が始まると井口勝利の蹴りに角田信朗はクイックローを返した。
蹴られたら蹴り返すような攻防が何度が続いた後、肩を狙った角田信朗の左のパンチが流れて顎に入り、井口勝利が倒れた。
角田信朗は頭を下げた。
再開後、ポイント勝ちも考え、手数重視となりつつある空手のトーナメントであるが、角田信朗と井口勝利は打ち合った。
魂がこもった戦いだった。
井口勝利は100㎏を超える巨体からムチのようにしなった左ハイキックを出した。
角田信朗はそれを捌いて、井口勝利の体を時計回りに回した。
そして右フックをボディに打ちながら右足を外に踏み出した。
左半身に意識を集中させた井口勝利の右側の顔面に角田信朗は腰を残してヘッドを走らせた左ハイキックを叩き込んだ。
井口勝利は丸太のように倒れた。
強靭な精神力ですぐに立ち上がろうとしたが夢遊病者のようによろめいた。
劇的な1本勝ちだった。
角田信朗は試合場の上で泣いた。
セコンドも正道会館の選手も社長も西太后も泣いていた。
この奇跡の一戦で気持ちが途切れ抜け殻となってしまった角田信朗は準決勝で敗れた。
しかし他流派の選手が極真空手の全日本大会でベスト4に入ったことは快挙だった。
表彰式で、講演会以来、12年ぶりに大山倍達と握手を交わした。
「君ねえ、秋の無差別と世界大会にも出てこい!」

ケガで極真の全日本大会出場を辞退

正道会館 第9回全日本 佐竹vsピータースミットなど(1990年)

角田信朗は、試合3日後までは軽いジョギングだけにしたが、10月の正道会館の全日本大会と11月の極真会館の全日本大会に向け、再びハードトレーニングを開始した。
そして正道会館の第9回全日本大会の6週間前に自宅前で縄跳びを跳んでいるとき
「バシィー」
という衝撃が右膝に走り倒れこんだ。
歩けないまま這って部屋に戻りタクシーを読んで病院へ直行した。
右膝内側半月板完全断裂だった。
すぐに膝に内視鏡を入れて断裂した部分を摘出する手術を受け1週間入院した。
車椅子でオペ室へ向かうとき女性看護師に
「すいません。
手術中の呼吸はヒーヒーフーでいいんですよね」
とボケたが寒い顔をされた。
第9回全日本大会は3回戦で後川恥之に負けた。
(後川恥之は佐竹雅昭を破って優勝)
とても大山倍達の期待に応えらえる状態ではないので角田信朗は、11月の極真会館の全日本大会の出場を辞退した。

vs USA大山カラテ & アウトボクサーの嫁

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1991年、角田信朗は右膝のため陸上競技トレーニングはできなくなった分、ウエイトトレーニングやエアロビクスに力を入れた。
その目標は、6月の極真の全日本ウエイト制だった。
第5回世界大会の選考会を兼ねたこの大会に勝って極真の世界大会出場を目論んだ。
そして4月の佐藤塾全日本大会で2位。
5月、「USA大山カラテ vs 正道カラテ 5対5マッチ」が開催された。
先鋒戦、次鋒戦が引き分けとなり、中堅戦で角田信朗はギャリー・クルグビッツと対戦。
延長戦で角田信朗の跳び膝蹴りでギャリー・クルグビッツはひっくり返った。
そして大将戦では、角田信朗を極真カラテの世界に引き込んだ男、クマ殺しのウィリー・ウィリアムスが佐竹雅昭と対戦した。

【公式】110秒で東京ディズニーランドの1日をまとめてみたら… | 東京ディズニーランド/TokyoDisneyland

試合を終え会場を出る角田信朗に女性が声をかけた。
「とっても感動しました。
握手してください」
「ああ、ありがとうございます」
「今日はもう大阪にお帰りですか?」
「いえいえ今日はもうこんな時間に帰るの無理なんで、一泊して明日ゆっくりして帰ろうかなと」
「えー、明日はゆっくりされるんですかぁ?」
「え?、ええ。
ああ、よかったらディズニーランドでも一緒に行きますか?」
「いいですよ!」
こうして2人は翌日待ち合わせた。
女性は最初のデートから35分も遅れ、角田信朗は舞浜へ向かう地下鉄のエスカレータで、すでに女性の手を握り、電車のなかでは肩に手をかけた。
お互いに図々しいと思いながら、ディズニーランドでは、接近戦を望む角田信朗を女性はまるでK-1の武蔵のように絶妙の距離を保ち続けた。
新幹線のホームで別れるとき、電話番号を交換し2ヵ月後のお盆休みに再開することを約束した。
しかし次の週の日曜日、女性は大阪までやってきた。
そしてお盆休みには角田信朗は、この女性、飯干恭子の実家にいき親族にあいさつした。

ツノダはどうしたのかね

kyokushin karate 極真対正道 黒澤浩樹vs柳澤聡行 別アングル

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