ジョージ・ハリスン
ザ・ビートルズのメンバーとして活躍し、解散後はソロとして活動。2001年に肺癌と脳腫瘍のため死去。
特徴的なスライドギターの名手で、2011年版の「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」で第11位。
1988年ビートルズのメンバーとして、2004年には個人としてロックの殿堂入りを果たしています。
ザ・ビートルズ時代の代表曲
但し、後期になると「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」などの美しく完成度の高い曲を発表しています。
George Harrison & Eric Clapton - While My Guitar Gently Weeps
映像は、ザ・ビートルズ解散後のバングラデシュ・コンサートからですが、ここでリードビターを弾いているのが若かりし頃のエリック・クラプトンですね。
で、そのエリック・クラプトンはザ・ビートルズのアルバムでもゲスト参加して弾いていました。
オール・シングス・マスト・パス
それが実質的な初のソロ・アルバムであり、歴史的な名盤ともいわれる『オール・シングス・マスト・パス』です。
ジョージ・ハリスンの妻であったオリヴィア・ハリスンさんは、『オール・シングス・マスト・パス』のことをこのように語っています。
『オール・シングス・マスト・パス』の収録曲の多くを、ジョージはバンドが解散する前に書いていたの。彼自身が何度も語っている話だけど、曲のストックがかなりたまっていたので、自分を表現する準備は出来ていた、と。『ワンダーウォール』と『エレクトロニック・サウンド』が作られたのは、まだビートルズがレコーディングを行っていた頃だから、『オール・シングス・マスト・パス』が実質、ジョージの初めてのソロだったわけね。今も色あせることないクラシック・アルバムだと思うし、ジョージ自身、とても誇りに感じていたと思うわ。たとえ本人はそう認めなかったとしても。私のフェイバレット・ソングも収められている。ここでのエリックのプレイは本当に美しいし、参加ミュージシャンの演奏も本当に素晴らしい。デレック&ザ・ドミノスも全員、他にも素晴らしいメンバーが演奏してくれている…そういうことを考えると、歴史的な1枚だったと言えるわね。
また、「マイ・スウィート・ロード」(My Sweet Lord)がシングル・カットされ、アメリカの『ビルボード』、『キャッシュボックス』ともに4週連続第1位を獲得しミリオン・セラーとなりました。
イギリスでは1971年度の年間チャートの1位にもなっています。
George Harrison-My Sweet Lord
デレック&ザ・ドミノス
アメリカ南部のブルースロックやサザンロックに強い影響を受けたエリック・クラプトンは、デラニー&ボニー&フレンズからボビー・ウィットロックとカール・レイドル、ジム・ゴードンを引き抜いて1970年に結成しました。
そして、1970年11月にアルバム『いとしのレイラ 』を発表します。
実は、このレイラとはジョージ・ハリスンの当時の奥さんパティ・ボイドです。
名曲「いとしのレイラ」のモデル、パティ・ボイド
イギリスのモデル、写真家として活躍。
ジョージ・ハリスンの「サムシング」、「フォー・ユー・ブルー」やエリック・クラプトンの「いとしのレイラ」、「ワンダフル・トゥナイト」、「ベル・ボトム・ブルース」などの曲にインスピレーションを与えたといわれています。
しかし、今見ても、なんともキュートですね。
ジョージ・ハリスンやエリック・クラプトンが一目惚れするのもわかるような気がしますが、他にもザ・ビートルズのジョン・レノン、ザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーも魅かれていたそうですよ。