The Concert for Bangla Desh
シタールの師であるラヴィ・シャンカールからバングラデシュの惨状を聞いたジョージ・ハリスンはバングラデシュ難民救済のためにチャリティー・コンサートを開催したのです。
ザ・ビートルズの最後に発表されたアルバム「レット・イット・ビー」は1970年5月8日のリリースで、法的に解散が認められたのが1971年3月12日ですから、ジョージ・ハリスンはザ・ビートルズの解散直後から早々に行動を起こしたということですね。
Concert for Bangladesh: Month of Giving
Performer
My Sweet Lord - George Harrison - Concert for Bangladesh
「今すぐに僕らは何かをしなくちゃならない」 との切羽詰まった思いから立ち上がったといジョージ・ハリスンですが、そういった姿勢はジョン・レノンから学んだと語っています。
ザ・ビートルズのメンバーからはリンゴ・スターが参加していますが、ジョージ・ハリスンはジョン・レノン、ポール・マッカートニー、更にはザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーにも電話をかけて参加を要請したとのことです。実現していたらと思うと少し残念ですね。
更にプロデューサーとしてフィル・スペクターまで参加していたとのことです。
このコンサートにおけるジョージ・ハリスンの意図した演奏したスタイルは大所帯のレビュー形式だったこと、会場をおさえてから開催まで一ヶ月しかなかったことなどからコンサートの成功とは裏腹にステージの裏側は混乱を極めていたそうです。
コンサートの目玉であったエリック・クラプトンとボブ・ディランの当時の状況をご紹介しましょう。
Guest Performer_Eric Clapton
早々に出演は決まっていたものの、最後の最後まで到着が危ぶまれていたため、保険として代わりのリード・ギタリストにジェシ・エド・デイヴィスに参加を要請しています。
エリック・クラプトンはなんとか重い腰を動かし参加することになったため、結局、二人とも参加することになりました。ただ、到着がギリギリだったためエリック・クラプトンは満足にリハーサルをすることもなくステージにあがっています。
George Harrison & Eric Clapton - While My Guitar Gently Weeps
Guest Performer_Bob Dylan
ボブ・ディランは1966年のツアーの後に交通事故を起こして人前から姿を消しており、以降バングラデシュ・コンサートまで僅かに2回しか人前で歌っていませんでした。
久しぶりのライブということで不安になっていたのでしょう。ジョージ・ハリスンに「1万人を前に、どうすればいいんだ?」と問いかけていたそうです。そして、前日のリハーサルでステージ・フライト(舞台恐怖症)を引き起こしてしまったのです。
ジョージ・ハリスンのエレキ・ギター、レオン・ラッセルのベース、リンゴ・スターのタンバリンをバックにアコギで歌うボブ・ディランはどうなったかと言いますと、誰もが不安となるそのステージは奇跡ともいえる素晴らしいものとなりました。特にジョージ・ハリスン、レオン・ラッセルと一緒に1本のマイクで歌う「女の如く」はこのコンサートのハイライトと言ってもいいでしょう。さすがですね。
最高位全米23位、全英10位を獲得。