テレビ爆笑10年史 OP●立川談志 三遊亭圓楽 林家三平ほか(1970年)
『大正テレビ寄席』の動画ではありませんが、なつかしい人ばかりですね!!
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私の印象が特に強い3組の芸人
私が上記に紹介した芸人の中でもっとも印象に強く残っている方々を3組ほど紹介します。
【昭和】漫才 獅子てんや・瀬戸わんや
ひとりは大柄の眼鏡(獅子てんや)にもうひとりは背の低い眼鏡で禿頭(瀬戸わんや)というコンビである。有名なフレーズは「たまごの親じゃ、ピヨコちゃんじゃ〜…」だ。そのせりふを吐いていた。かなり東京の方では人気絶頂だったが、わんやが病気で倒れてからはコンビ解散、その後わんやが亡くなり、てんやも芸能界を引退してしまった。ボケのてんやにツッコミのわんやのやりとりが可笑しくて、特にのんびりしたボケをかましたときのわんやのイライラしたレスポンスもこの漫才の醍醐味でもあった。
後に片岡鶴太郎が『ひょうきん族』あたりで、ひよこちゃん芸を受け継いだようである。
後に片岡鶴太郎が『ひょうきん族』あたりで、ひよこちゃん芸を受け継いだようである。
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東京コミックショー
「一代限りの名人芸」と言われた東京コミックショウは私にとって、永遠のギャグだ。「いらっしゃ~い」と客席に向かってあいさつしたとたん、ズボンがずり落ちて、へそが丸見えになるネタもあった。毒舌で知られる落語家の立川談志が「世の中の芸で、これほどバカバカしくて面白くて、一度見た人に永遠に残る芸も珍しい」と絶賛したほどだった。
最後は、両手にぬいぐるみをした人が箱の中からぱっと姿を現し、種明かし。「これ、うちのカミさん。可愛いだろ」。ショパン猪狩(いがり)さんがはにかみながら千重子さんを紹介すると、客席は再び大笑いとなった。
最後は、両手にぬいぐるみをした人が箱の中からぱっと姿を現し、種明かし。「これ、うちのカミさん。可愛いだろ」。ショパン猪狩(いがり)さんがはにかみながら千重子さんを紹介すると、客席は再び大笑いとなった。
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玉川カルテット「1996年お正月番組」
1960年代から活動している歌謡浪曲漫談グループ。
デビュー時のメンバーは玉川ゆたか(リーダー)、松木ぽん太(三味線)、二葉しげる(エレキギター)、松浦武夫(ギター)。
ぽん太としげるがボケてリーダーのゆたか(ゆたか逝去後は後任のリーダー)が扇子でシバくツッコミでお馴染み。(時たましげるがゆたかを扇子でシバく事もある)。また、武夫の囃子(わかりやすくいえばファルセットみたいなもの)も特徴。
1996年にゆたかの逝去したことで解散の危機に陥るも、幾度のメンバーチェンジを得て現在に至る。
♪金もいらなきゃ女もいらぬ~ ♪あたしゃも少し背が欲しい~!!
二葉しげる歌唱の、玉川カルテットのあまりにも有名なギャグ。
デビュー時のメンバーは玉川ゆたか(リーダー)、松木ぽん太(三味線)、二葉しげる(エレキギター)、松浦武夫(ギター)。
ぽん太としげるがボケてリーダーのゆたか(ゆたか逝去後は後任のリーダー)が扇子でシバくツッコミでお馴染み。(時たましげるがゆたかを扇子でシバく事もある)。また、武夫の囃子(わかりやすくいえばファルセットみたいなもの)も特徴。
1996年にゆたかの逝去したことで解散の危機に陥るも、幾度のメンバーチェンジを得て現在に至る。
♪金もいらなきゃ女もいらぬ~ ♪あたしゃも少し背が欲しい~!!
二葉しげる歌唱の、玉川カルテットのあまりにも有名なギャグ。
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