『PlayStation(プレイステーション)』(1994年・ソニー・コンピュータエンタテインメント)の懐かしい思い出ゲーム
PlayStation(プレイステーション)とは、1994年12月3日に発売された家庭用ゲーム機。略称はPS。発売元はソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) (現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE) )。
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『ファイナルファンタジーVII』(1997年1月31日・スクウェア(現:スクウェア・エニックス)・ロールプレイングゲーム)
『ファイナルファンタジーVII』(1997年1月31日・スクウェア(現:スクウェア・エニックス)・ロールプレイングゲーム)
『ファイナルファンタジーVII』(ファイナルファンタジーセブン、FINAL FANTASY VII、略称:FFVII、FF7)は、日本国内で1997年1月31日にスクウェア(現:スクウェア・エニックス)より発売されたPlayStation用RPG。ファイナルファンタジーシリーズのメインシリーズ7作目に当たる。
本作はシリーズ初となるPlayStation用ソフトで、日本では発売初週に202万本を売り上げ、日本での総出荷本数は328万本に達した(別ソフトであるインターナショナル版、アルティメットヒッツ版を加えた場合は407万本である)。
これは日本での全PlayStationソフトの出荷本数に於いて『ドラゴンクエストVII』の410万本、『ファイナルファンタジーVIII』の363万本に次ぐ歴代3位の記録であり、ファイナルファンタジーシリーズ作品では2番目の記録である。
また全世界市場での総出荷本数980万本は本シリーズにおいての最高記録であり、全世界累計で本作より売れたPlayStationソフトは、『グランツーリスモ』しか存在しない。
今作以降、シリーズ本編作品の日本版ボックスアートは白いジャケットにタイトルロゴを表記したものとなった。それまでのスーパーファミコンのタイトルデザインはダンジョンなどのイメージを冠したものだったため、シンプルな印象に変わった。
発売から19年経った2016年1月末現在に至っても本作の人気は高く、根強いファンに支持されている。
本作はシリーズ初となるPlayStation用ソフトで、日本では発売初週に202万本を売り上げ、日本での総出荷本数は328万本に達した(別ソフトであるインターナショナル版、アルティメットヒッツ版を加えた場合は407万本である)。
これは日本での全PlayStationソフトの出荷本数に於いて『ドラゴンクエストVII』の410万本、『ファイナルファンタジーVIII』の363万本に次ぐ歴代3位の記録であり、ファイナルファンタジーシリーズ作品では2番目の記録である。
また全世界市場での総出荷本数980万本は本シリーズにおいての最高記録であり、全世界累計で本作より売れたPlayStationソフトは、『グランツーリスモ』しか存在しない。
今作以降、シリーズ本編作品の日本版ボックスアートは白いジャケットにタイトルロゴを表記したものとなった。それまでのスーパーファミコンのタイトルデザインはダンジョンなどのイメージを冠したものだったため、シンプルな印象に変わった。
発売から19年経った2016年1月末現在に至っても本作の人気は高く、根強いファンに支持されている。
ファイナルファンタジーVII(PS)PV スクウェア・エニックスのYouTube内公式サイト
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『バイオハザード』(1996年3月22日・カプコン・サバイバルホラー)
『バイオハザード』(1996年3月22日・カプコン・サバイバルホラー)
『バイオハザード』(BIO HAZARD, 日本国外ではResident Evil)は1996年にカプコンより発売されたPlayStation用ホラーアクションアドベンチャーゲーム。その後様々なプラットフォームに移植される。
舞台としては、1998年7月23日のアメリカの中西部に位置するアークレイ山の洋館が舞台となっており、そこで起こったバイオハザードに見舞われながらも、殺人事件の捜査のために洋館に潜入したラクーン市警の特殊作戦部隊S.T.A.R.S.の隊員達の戦いを描いている。
発売当初はアクの強い洋ゲー風味な作風が業界関係者から酷評され、売れ行き自体も芳しく無かったが、購入に至ったユーザーの口コミにより徐々に好評が広まり、大ヒットに繋がった。
本作の大ヒットにより、バイオハザードシリーズとしてシリーズ化され、ホラーゲームが多数発売されるきっかけとなった。また、当時のゲーム次世代機戦争においてPlayStationの優位に大きく貢献した。後年には他プラットフォームへの移植、リメイク作品も多数発売している。
舞台としては、1998年7月23日のアメリカの中西部に位置するアークレイ山の洋館が舞台となっており、そこで起こったバイオハザードに見舞われながらも、殺人事件の捜査のために洋館に潜入したラクーン市警の特殊作戦部隊S.T.A.R.S.の隊員達の戦いを描いている。
発売当初はアクの強い洋ゲー風味な作風が業界関係者から酷評され、売れ行き自体も芳しく無かったが、購入に至ったユーザーの口コミにより徐々に好評が広まり、大ヒットに繋がった。
本作の大ヒットにより、バイオハザードシリーズとしてシリーズ化され、ホラーゲームが多数発売されるきっかけとなった。また、当時のゲーム次世代機戦争においてPlayStationの優位に大きく貢献した。後年には他プラットフォームへの移植、リメイク作品も多数発売している。
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バイオハザード1をプレイ!part1
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『メタルギアソリッド』(1998年9月3日・コナミコンピュータエンタテイメントジャパン)
『メタルギアソリッド』(1998年9月3日・コナミコンピュータエンタテイメントジャパン)
『メタルギアソリッド』(METAL GEAR SOLID、略称: MGS)は、コナミコンピュータエンタテイメントジャパンが開発、コナミから発売された戦略諜報アクションゲームであり、メタルギアシリーズの3作目となる作品である。
MSX2用として発売された前2作品とは異なりポリゴンを用いた3次元描写による潜入アクションゲーム。
物語のテーマは「GENE(遺伝子)」。
本作品のシナリオは、米国のフォーチュン誌にて「20世紀最高のシナリオ」と称され、小説版のキャッチコピーでも使われている。ハード性能を活かした映像の他、兵士の吐く白い息等の描写で極寒のアラスカへの潜入を演出。詳細な人物設定等も評価されている。ハードの移行により大きな進展を見せた本作は、ポリゴンによる3次元描写となった事に加え、3次元でなければ不可能な演出を盛り込んでいる。また、ゲーム内では実在する武器が使用されている。
MSX2用として発売された前2作品とは異なりポリゴンを用いた3次元描写による潜入アクションゲーム。
物語のテーマは「GENE(遺伝子)」。
本作品のシナリオは、米国のフォーチュン誌にて「20世紀最高のシナリオ」と称され、小説版のキャッチコピーでも使われている。ハード性能を活かした映像の他、兵士の吐く白い息等の描写で極寒のアラスカへの潜入を演出。詳細な人物設定等も評価されている。ハードの移行により大きな進展を見せた本作は、ポリゴンによる3次元描写となった事に加え、3次元でなければ不可能な演出を盛り込んでいる。また、ゲーム内では実在する武器が使用されている。
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観るMETAL GEAR SOLID
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『リッジレーサー』(1994年12月3日・ナムコ(後のバンダイナムコゲームス))
『リッジレーサー』(1994年12月3日・ナムコ(後のバンダイナムコゲームス))
『リッジレーサー』(Ridge Racer)は、ナムコ(後のバンダイナムコゲームス)より発売されたレースゲームである。
1993年アーケードゲーム(以下、AC)として稼動開始し、後にコンシューマーゲームや携帯電話ゲームにも移植された。高速のままコーナーを速度をほとんど落とさず派手なドリフト走行で曲がり切ったり、高低差により大きくジャンプしたりと、挙動や運転感覚のリアルさを度外視した爽快感重視のゲーム性が特徴のレースゲーム。これらの要素は後のシリーズにも受け継がれている。キャッチコピーは「フルカウンターで駆け抜けろ」。
1994年発表されたセガの『デイトナUSA』と共にテクスチャマッピングを導入した最初期の3Dレースゲームである。ちなみにタイトルの『リッジレーサー』には「峠の走り屋」の意味がある。
AC版からほぼ1年後に登場したプレイステーション(以下、PS)版は、同ハードのローンチタイトルとして発売された。コンシューマー用のオリジナル要素として、ライバルカーの使用や、驚異の能力をもつデビルカーの出現、逆走モードなど、様々な追加要素が導入された。ゲーム起動時の読み込み中に『ギャラクシアン』で遊ぶことができ、以降のシリーズでも起動時ミニゲームで遊べるのが定番となった。
1993年アーケードゲーム(以下、AC)として稼動開始し、後にコンシューマーゲームや携帯電話ゲームにも移植された。高速のままコーナーを速度をほとんど落とさず派手なドリフト走行で曲がり切ったり、高低差により大きくジャンプしたりと、挙動や運転感覚のリアルさを度外視した爽快感重視のゲーム性が特徴のレースゲーム。これらの要素は後のシリーズにも受け継がれている。キャッチコピーは「フルカウンターで駆け抜けろ」。
1994年発表されたセガの『デイトナUSA』と共にテクスチャマッピングを導入した最初期の3Dレースゲームである。ちなみにタイトルの『リッジレーサー』には「峠の走り屋」の意味がある。
AC版からほぼ1年後に登場したプレイステーション(以下、PS)版は、同ハードのローンチタイトルとして発売された。コンシューマー用のオリジナル要素として、ライバルカーの使用や、驚異の能力をもつデビルカーの出現、逆走モードなど、様々な追加要素が導入された。ゲーム起動時の読み込み中に『ギャラクシアン』で遊ぶことができ、以降のシリーズでも起動時ミニゲームで遊べるのが定番となった。
少し昔を振り返るプレイムービーその1「リッジレーサー」
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『NINTENDO64』(1996年・任天堂)の懐かしい思い出ゲーム
NINTENDO64(ニンテンドウろくじゅうよん)は、任天堂株式会社が1996年に発売した家庭用ゲーム機。スーパーファミコンの後継・次世代機種であり、略称は「64(ロクヨン)」、「N64」など。
1990年代中期に「次世代機」と呼ばれたゲームハードの一つで、任天堂としては初めて本格的な3Dゲームに対応した。メディアは従来と同じくロムカセット式である。
発売されたソフトは日本国内では全206タイトルに過ぎないが、人気を博したソフトや、作品として極めて高く評価されているソフトも存在している。また4人同時プレイに最初から対応していたという事もあり、多人数ゲームで大きな広がりを見せた。そのため、小中学生を中心に一定のシェアを獲得することに成功した。
特に『マリオカート64』、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などはそれぞれかなりの人気を獲得し、売上も好調だった。
当初は次世代ゲーム機戦争の本命として期待されており、「ゲームが変わる。64が変える。」のキャッチコピーとともに登場した。しかし、度重なる延期による発売の遅延(ライバル機より2年近くも遅れた)により、登場時にはPlayStationが市場を占拠し始めていたことが大きかった(NINTENDO64が発売された96年6月時点で、PlayStationの累計出荷台数は270万台を超えていた。97年3月末時点でNINTENDO64の累計販売台数は204万台、98年3月末時点は315万台。対するPlayStationは97年3月末時点で累計出荷台数650万台、98年3月末時点で1151万台だった)。
開発環境の問題や64DD構想が難航したために更なるサードパーティー離れの参入メーカー不足によるソフト不足の現象が起き、普及が進まず、最終的なハード出荷台数は同世代のPlayStationはもとより、国内ではセガサターンにさえ及ばなかった。この結果、任天堂は据え置きゲーム機のトップシェアを失い、その後2世代にわたりその座をソニー・コンピュータエンタテインメントに明け渡すことになった。
発売されたソフトは日本国内では全206タイトルに過ぎないが、人気を博したソフトや、作品として極めて高く評価されているソフトも存在している。また4人同時プレイに最初から対応していたという事もあり、多人数ゲームで大きな広がりを見せた。そのため、小中学生を中心に一定のシェアを獲得することに成功した。
特に『マリオカート64』、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などはそれぞれかなりの人気を獲得し、売上も好調だった。
当初は次世代ゲーム機戦争の本命として期待されており、「ゲームが変わる。64が変える。」のキャッチコピーとともに登場した。しかし、度重なる延期による発売の遅延(ライバル機より2年近くも遅れた)により、登場時にはPlayStationが市場を占拠し始めていたことが大きかった(NINTENDO64が発売された96年6月時点で、PlayStationの累計出荷台数は270万台を超えていた。97年3月末時点でNINTENDO64の累計販売台数は204万台、98年3月末時点は315万台。対するPlayStationは97年3月末時点で累計出荷台数650万台、98年3月末時点で1151万台だった)。
開発環境の問題や64DD構想が難航したために更なるサードパーティー離れの参入メーカー不足によるソフト不足の現象が起き、普及が進まず、最終的なハード出荷台数は同世代のPlayStationはもとより、国内ではセガサターンにさえ及ばなかった。この結果、任天堂は据え置きゲーム機のトップシェアを失い、その後2世代にわたりその座をソニー・コンピュータエンタテインメントに明け渡すことになった。
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『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』
『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』(1999年1月21日・任天堂・対戦アクションゲーム)
『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』(ニンテンドウオールスター だいらんとうスマッシュブラザーズ、英題:Super Smash Bros.)は、1999年1月21日に任天堂より発売されたNINTENDO64用対戦アクションゲーム。大乱闘スマッシュブラザーズシリーズの第1作目。略称は「スマブラ」など。
『スーパーマリオブラザーズ』シリーズのマリオや『ゼルダの伝説』シリーズのリンク、『ポケットモンスター』シリーズのピカチュウ、『星のカービィ』シリーズのカービィなど、任天堂が過去に発売したコンピュータゲームシリーズの代表的な人気キャラクターが、彼らの登場するゲームの世界観をモチーフにしたステージ上で戦う対戦アクションゲームである。コンピュータによる自動操作も含め、1〜4(Wii U版では最大8)人がゲームに参加できる。
対戦型格闘ゲーム的な性格を持つこのシリーズを一際特徴づけているのは、ゲームの勝利条件である。それぞれのプレイヤーは各キャラクターに割り当てられた体力を奪い合うのではなく、いわばおはじきやベーゴマのように、ゲームの舞台から場外へ落下した(させられた)者が敗れ、最後まで舞台に残っていた者が勝者となる。
『スーパーマリオブラザーズ』シリーズのマリオや『ゼルダの伝説』シリーズのリンク、『ポケットモンスター』シリーズのピカチュウ、『星のカービィ』シリーズのカービィなど、任天堂が過去に発売したコンピュータゲームシリーズの代表的な人気キャラクターが、彼らの登場するゲームの世界観をモチーフにしたステージ上で戦う対戦アクションゲームである。コンピュータによる自動操作も含め、1〜4(Wii U版では最大8)人がゲームに参加できる。
対戦型格闘ゲーム的な性格を持つこのシリーズを一際特徴づけているのは、ゲームの勝利条件である。それぞれのプレイヤーは各キャラクターに割り当てられた体力を奪い合うのではなく、いわばおはじきやベーゴマのように、ゲームの舞台から場外へ落下した(させられた)者が敗れ、最後まで舞台に残っていた者が勝者となる。
スマブラ64版 OP完全版
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立ち上げ期においては、セガとはアーケードゲーム市場でライバル関係にあり、任天堂とは関係が悪化してゲーム機の自社開発を模索していたナムコがSCEと提携してプレイステーション陣営につき、ローンチタイトルとして『リッジレーサー』を発売し普及を牽引するキラーソフトとなった。
その後も初期にはナムコの『鉄拳』やタカラの『闘神伝』といった格闘ゲームソフトでハードの売り上げを伸ばした。そして、これまで任天堂マシンで発売されていた日本を代表するRPGシリーズであるスクウェアの『ファイナルファンタジー』シリーズの参入が1996年2月に発表されてプレイステーションの優勢が決定づけられ、同年3月に発売された『鉄拳2』やカプコンの『バイオハザード』はリピートによるロングセラーに。
1996年年末商戦でプレイステーションは独り勝ちした。翌1997年1月には 『ファイナルファンタジーVII』が発売されて大ヒットし、エニックスの『ドラゴンクエスト』シリーズがプレイステーションに参入することが発表され、プレイステーションの次世代機戦争の勝利が確実なものになった。