「サインはV」と「アタックNo.1」が発表された時代背景
1961年の欧州遠征で24連勝した際に、「東洋の台風」「東洋のまほうつかい」と世界的に日本代表の強さが広く認知されました。
1962年の世界選手権では「東洋の魔女」として恐れられていた日本代表に注目が集まり、「回転レシーブ」や「変化球サーブ」を繰り出し優勝するとニュースで大きく取り上げられ、「東洋の魔女」は社会的現象となります。
世界選手権後、 女子バレーボールがオリンピックの正式種目に入ることが決定すると、既に引退を表明していた監督と選手の元に「是非東京オリンピックまで続けて欲しい」との日本バレーボール協会幹部や一般ファンの声が高まり、選手達はオリンピックまで続けることを決意。
そして迎えた1964年「東京五輪」
ソ連との全勝同士の対決で見事ソ連を破り「優勝」金メダルを獲得しました。
この女子バレーの金メダル獲得によって日本ではバレーボールブームが起こり、後に「サインはV」や「アタックNo.1」などの作品が生まれました。
「週刊マーガレット」(集英社)の「アタックNo1」
「サインはV!」は「アタックNo.1」への対抗馬が欲しい!という「少女フレンド」(講談社)編集部の要請があり企画された作品だという事です。
元から「集英社」VS「講談社」という図式だったんですね!(笑)
「サインはV」を解説
「サインはV」「サインはV!」
原作である漫画作品のタイトルは「サインはV!」と表記されていて、その他の作品では「!」を省略して「サインはV」となっています。
「サインはV!」あらすじ
だが、「立木武蔵」のコーチ・牧圭介にスカウトされ、再びバレーボールと向き合おうと決意する。
「立木武蔵」では、親友やライバル達と厳しい練習に耐えライバルチームとしのぎを削っていたのだが、主力メンバーの脱退などでチームは分裂の危機に面す。
そんな中チームに加わったのが、「ジュン・サンダース」
ユミとジュンは特訓を重ね「X攻撃」を編み出すのだが・・・
「サインはV!」おもな登場人物
牧 圭介:立木製作所が新設するバレーボールチーム「立木武蔵」のコーチ。
ジュン・サンダース :神奈川県の養護施設サンダースホーム出身。のちに病に倒れる。
椿 麻理 :ユミと同期入団で、同じアタッカーのユミに対して猛烈なライバル心を持っている。
小山 チイ子 :ユミと同期入団で親友。東北出身のため東北なまりがある。
松原 かおり:「立木武蔵」のキャプテンで、ユミ達の先輩社員。
大本 竜子 :ライバルチーム「ヤシカ」の選手で「殺人スパイカー」として恐れられている。
高山:「立木武蔵」の監督。コーチの牧圭介が注目されることが面白くない。
朝丘 美代:ユミの姉。既に亡くなっているが、回想シーンで登場する。
朝丘 志津:美代とユミの母。叱咤激励しユミを陰ながら支えている。
「サインはV!」必殺技
「1970(昭和45)年の静岡新聞記事より」(その11) 『#サインはV』原典は週刊少女フレンド連載 神保史郎・望月あきら両先生の漫画。立木大和バレー部の朝丘ユミ(岡田可愛)は、牧圭介コーチ(中山仁)の冷徹な指導を乗り切り、「稲妻落とし」「X攻撃」を生み出し、強豪たちを次々と打ち破っていく。 pic.twitter.com/1KLR02t8MB
— 昭和レインボー (@ShowaRainbow) September 11, 2019
この敵に背を向けて手を大げさすぎるくらいに回して打つサーブは当時の流行でした。(笑)
実際は、ジグザクに落ちるわけないのですが・・。
ジュン・サンダースが骨肉腫で亡くなった後「立木武蔵」のX攻撃は封印された。
が、ライバルチーム「ニチボー」の椿麻理らもこのX攻撃を行っていて、その攻撃に対応し破ったのはユミ。
劇画:望月あきら
1968年から講談社「週刊少女フレンド」にて連載