【ジョージ・フォアマン】45歳で世界ヘビー級王者に返り咲いた伝説のボクサー
2020年2月7日 更新

【ジョージ・フォアマン】45歳で世界ヘビー級王者に返り咲いた伝説のボクサー

象をも倒すといわれたパンチ力で最強と呼ばれながら『キンシャサの奇跡』でモハメド・アリに敗れたジョージ・フォアマン。 一度は引退するもカムバックを果たし、20年ぶり45歳で世界ヘビー級王者に返り咲いた伝説のボクシング王者について栄光から挫折そして復活の経歴、モハメド・アリやマイク・タイソンとの比較、ヘビー級最強説を紹介。

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長年にわたって黒人差別の撤廃を訴えてきたモハメド・アリは、ベルギーによる植民地支配の時代を知るザイール国民にとって、まさに希望の星であった。
シェパードでバッシング?

シェパードでバッシング?

フォアマンはアリと同じ黒人でありながら、入国時に旧宗主国ベルギーの警察犬だったシェパードを連れてきたこともあり、『白人の手先』と非難の的となってしまう。
さらに、フォアマンが練習中にケガをして約1ヶ月試合が延期となったが、アメリカに帰国しての治療を望んだものの試合拒絶の逃亡と見なされ、出国禁止の軟禁状態に置かれることになってしまう。

アリの人気は高まるばかりで『アリ! ボマイエ!(現地リンガラ語でアリ!殺っちまえ!)』はザイールの国民的流行語になった。
なお、このときの『ボマイエ』が後に猪木ボンバイエに繋がっていく。

元々繊細なフォアマンは、完全アウェーの状態で軟禁され精神に大きなダメージを負い試合に臨むことになった。

伝説の戦法『ロープ・ア・ドープ』で敗れたフォアマン

1974年10月30日、世界中が見守った世紀の一戦は放送権を持っていた米国テレビ局の都合に合わせた、なんと現地時間の午前3時過ぎに行われた。

地元民衆の大歓声がアリに注がれる中、試合開始のゴングが鳴った。
王者フォアマンは攻勢を仕掛け、剛腕で相手を追い込むいつものスタイルを敢行。
1Rこそアリは蜂のように刺すと称された自慢のフットワークを使ってフォアマンの強打をかわしたが、2R以降はフォアマンのプレッシャーにズルズルと後退、ロープ際まで追い詰められて強打を浴び続ける。
誰もがフォアマンの早期KOを予想した。

だが、アリは常に顔面をカバーしながら、ロープの弾力を利用してフォアマンのパンチの衝撃を吸収し、頃合を見計らって鋭い反撃をする高等テクニック、後に『ロープ・ア・ドープ』と呼ばれる作戦を実行。
超高等テクニック『ロープ・ア・ドープ』

超高等テクニック『ロープ・ア・ドープ』

フォアマンと同等の体格(身長190cm、リーチ203cm)で、並外れた動体視力と反射神経を持つアリだからこそ実現できた戦法である。
ロープを背にのけぞることでフォアマンの得意とする左右フックからのアッパーを完全に封じた。
剛腕を振り回し続けるフォアマンはスタミナを奪われていく。
無敵王者の宿命で、早いラウンドでの決着が多かったフォアマンはこれまでの相手とは全く違う戦法に戸惑い、焦れば焦るほどパンチの精度も下がり益々スタミナを浪費し、動きに精彩を欠いていく。

そして、運命の8R。
それまでのラウンドと同様にフォアマンは前進を続けるがラウンド終盤に体が流れた瞬間、アリはその一瞬の隙を見逃さず体を入れ替えコンビネーションブローを放つ。
まともに連打されたフォアマンは最後にカウンターの右ストレートを浴び、キャンバスに沈んだ。
主審がテンカウントを宣告、最強の王者と呼ばれたフォアマンはプロ41戦目にしてついに初黒星を喫して王座を陥落した。

下馬評を覆す奇跡の勝利を挙げたアリは、ヘビー級としてはフロイド・パターソン以来史上2人目の世界王座返り咲きに成功した。

【ハイライト】ジョージ・フォアマン vs モハメド・アリ

フォアマンとノートンの試合を観戦したアリは、『序盤を乗り切ればノートンが勝っていた』と予言めいたコメントを残しており、『ロープ・ア・ドープ』によりそれを実現させた。

【フル動画】ジョージ・フォアマン vs モハメド・アリ

入場から試合後のインタビューまでのフル動画。
再生時間は1:05:04。
お時間があるときにどうぞ。
『肉を切らせて骨を断つ』戦法で奇跡の勝利をおさめたアリだが、その代償は大きくガードの上からでも効いてしまうフォアマンの強打はアリの体を蝕み、後にパーキンソン病を患う原因になったとも言われている。

『キンシャサの奇跡』にまつわる謎と疑惑

【ロープをわざとゆるく張っていた?】
試合を見ると確かに不自然なほどロープがゆるい。
ロープがここまで緩くなければ、フォアマンのパンチをのけぞって躱すことはできなかったと思われる。
現地の人気を獲得したアリ陣営が「わざとロープをゆるく張らせたのではないか」とも言われている。
だが、アリのトレーナーであるアンジェロ・ダンディは試合が行われるまで『ロープ・ア・ドープ』という戦法自体を知らなかった。
事実、アリも1Rはフットワークを駆使する戦法を取っており、緩いロープに気付いたアリが急遽編み出したものだという説が有力である。

【フォアマンは薬を盛られていた?】
フォアマンは自叙伝『God in My Corner』の中で「あれは仕組まれた試合だった」と語っている。
リングに上がる直前に自分のトレーナーから薬のような味のする飲み物を与えられたと書き、何らかの薬物を盛られた可能性を示唆している。
「やっとの思いでリングにもぐり込み、3ラウンドが終わってみるとまるで15ラウンドを戦ったかのように疲労だった。」と自らの動きが急激に衰えた原因について述べている。
こうした発言に対して、「負け惜しみ」や「嘘つき」とフォアマンを批判する声もあるが、完全アウェーで軟禁された繊細なメンタルは壊れ、周りの人間全てが敵に感じてしまっていたのではないか。
この試合時には鉄の結束と言われた『チームフォアマン』は不協和音を生じていたという。

【レフェリーのカウントが早かった?】
動画で確認してもカウント9ぐらいで試合終了を合図したように見える。
だが、ダメージは明らかでフォアマン自身もフォアマン陣営も抗議する姿勢を見せていない。
仮にこのまま続行しても挽回するのは厳しかったと思われる。

『キンシャサの奇跡』後、再起をかけるフォアマン

フォアマンはアリに喫した初黒星から約15ヶ月後の1976年1月24日、ようやく再起戦を行った。
対戦相手は元囚人のボクサー、ロン・ライル。
アリに敗れて自信を失ったフォアマンに、かつて絶対王者と呼ばれた雰囲気は無かった。

ジョージ・フォアマン vs ロン・ライル

ライルが放つ右ストレートや左ジャブを初回から不用意に浴びるシーンが目立つ。
気弱になったフォアマンは自らクリンチしたり、後退するという今まででは考えられない姿を見せた。
ダウン応酬の激闘の末、豪打に勝るフォアマンが辛くも5RTKOで勝利した。
このライル戦を例に出し、フォアマンは実はそこまで強くなかったという意見もあるが、ライルはこの半年近く前にモハメド・アリに挑戦し接戦(11RTKOで敗れる)を繰り広げているほどの実力を持っており、アリやフォアマンがいない時代であればチャンピオンになれたとも言われている逸材であった。

ジョー・フレージャーと二度目の対戦

『キングストンの惨劇』から3年後、王座から陥落したフォアマンに対して同じく元王者のフレージャーは雪辱に挑んだ。
前年、フレージャーはアリとも三度目の対戦を行いセコンドの申告により14R棄権で敗北したが、アリもこの時点で敗北を覚悟してグローブを外して欲しいとセコンドに頼んだほどの大接戦であった。

フォアマン vs フレージャー(二度目の対戦)

2Rで6度も倒された前回と違い、フォアマンの猛攻を躱し続け反撃にでるフレージャー。
だが、37歳になった体は徐々にスピードを失い、次第に追い詰められていく。
そして、5R。ついにフォアマンの剛腕から放たれる左フックが顎に命中し、ダウン。
執念で立ち上がったが続けてダウンを奪われ、5RTKOでまたもフォアマンに軍配が上がった。
フレージャーを返り討ちにしたフォアマンは、スコット・レドゥー(3RTKO)、ジョン・ディノデニス(4RTKO)、ペドロ・アゴスト(4RTKO)と連勝を続け剛腕健在を印象付けた。
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