【ジョージ・フォアマン】45歳で世界ヘビー級王者に返り咲いた伝説のボクサー
2020年2月7日 更新

【ジョージ・フォアマン】45歳で世界ヘビー級王者に返り咲いた伝説のボクサー

象をも倒すといわれたパンチ力で最強と呼ばれながら『キンシャサの奇跡』でモハメド・アリに敗れたジョージ・フォアマン。 一度は引退するもカムバックを果たし、20年ぶり45歳で世界ヘビー級王者に返り咲いた伝説のボクシング王者について栄光から挫折そして復活の経歴、モハメド・アリやマイク・タイソンとの比較、ヘビー級最強説を紹介。

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無名のジミー・ヤングに判定負けし、突如引退。

1977年3月17日、当時無名のジミー・ヤングに最終回ダウンを奪われた末に判定負け。
試合後のロッカールームで「神と出会った」と28歳の若さで引退を表明、牧師に転身した。
突然の引退宣言に周囲は「アリと再戦する勇気を失った」と考えた。

引退決意の理由については、ノンフィクション作家・山際淳司がフォアマンに直接取材を行って聞き出した内容が著書『スタジアムで会おう』にて明かされている。
おまえは負けてもジョージ・フォアマンじゃないか。
いざとなったらリタイアして死ねばいいんだ…
自分で自分にそういい聞かせたとき、初めておれは”死”を意識した。
ぞっとしたね。
おれは”死”を追い払おうと必死になった。
でも、追い払おうと思えば思うほどそいつがまとわりついてくるんだよ…

すると、神を信じていれば”死”をおそれることはないじゃないか、という声がどこかからか聞こえてきた。
さすがに怖かったね。

~中略~

すると、”無””絶望”という大海から救い出されるようにおれはあのドレッシングルームに戻っていた。
生き返ったんだ。神のために死ぬんだ、とおれは叫んでいた。
トレーナーがおれを立ちあがらせ、わかったよ、気のすむまで話しな、といった。
ドクターがおれの頭をおさえていた。

~中略~

おれは叫びつづけた。
ジーザス・クライストがおれの中で生き返った!
みんなは、チャンプ、落ち着いて、落ち着いてといってたけどね(笑)
via 山際淳司『スタジアムで会おう』より
この本を読むことでフォアマンがどれだけ純粋で、どれだけ繊細で、アリ戦での敗北がどれほど心にダメージを残していたかが深く理解できる。
ファイトを重ねているうちに、おれはこいつらの中の誰かを殺してやると思いはじめた。
そうすれば、おれと戦いたいなんていいだす奴はいなくなる、とね。
そのころのおれの考え方はそんなもんだった。

それが一八〇度、変わったんだ。ジミー・ヤングとの試合の後、おれはもう人なんか殺したくない。
叩きのめすのは嫌だ。もう二度とボクシングなんかしたくない…。
そう思うようになった。そうなったらもう、おれ自身が考えていたボクシングはできない。
via 山際淳司『スタジアムで会おう』より
アリ戦での敗北で王座もプライドも失い、ライル戦のダウンで自信を失った心は、ヤング戦での敗北で遂に壊れてしまったのだと言われている。

心が壊れたフォアマンはリングに上がり続けることを拒否し、「神」の道へ進むことになった。

スタジアムで会おう (角川文庫) : 山際 淳司

1~(中古)
西武ライオンズの四番打者「清原和博」。神になったチャンプ「ジョージ・フォアマン」。天才ジョッキー「武豊」。劇場(スタジアム)では、様々なドラマが生まれ、去っていく。感動と興奮に満ちた物語。珠玉のスポーツノンフィクション集。

宣教師として青少年の更生に尽力するフォアマン

敗北による心の傷が癒えたらすぐにカムバックすると周囲は思っていたが、フォアマンは復帰の誘いを頑なに断り続けた。
やがて、引退から何年も経っていくと復帰の噂も無くなり、フォアマンは完全に過去のボクサーとなっていた。

宣教師となったフォアマンは、不機嫌そうに顔をこわばらせていた以前から別人のように変わり、柔和で穏やかな笑顔を絶やさずユーモアを連発するようになったという。

ヒューストンの通りで説教をし始め、ボクシングで稼いだお金で教会も設立した。
そして、かつて不良だった少年時代から職業訓練とボクシングとの出会いに救われたように、自分も青少年の更生を手伝いたいと考えるようになっていく。

青少年更生施設の建設費用捻出のため38歳でカムバック。

残りの財産を使いユースセンター(青少年の保護・更生施設)の建設したフォアマンであったが、雇っていた会計士が横領事件を起こし、資金難に陥ってしまう。

教会とユースセンターを手放さねばならない状況になり、「このままでは多くの青少年を救う夢を実現できない…」とフォアマンは復帰を決意した。
カネの稼ぎ方なら知ってるさ。チャンピオンになればいい。オレは強くなりたくてボクサーになったわけじゃない。生まれつき強かったから、ボクシングを仕事にしたんだ。
via ジョージ・フォアマン
ボクシングを始めて1年ちょっとでオリンピック金メダルを獲得した『天才』フォアマンならでは発言。

負け犬のままリングを去ったんじゃないと、わかって欲しかった。

金がなくなったという理由が、まず第一にあるね。
生活する金に困ったわけじゃない。
ユースセンターを開く資金がなかったんだ。

~中略~

子供たちのために働くようになって、かれらにジョージ・フォアマンはギブアップしたんだと思われたくなかった。これは大きいね。
子供たちに、ジョージは負け犬のままリングを去ったんじゃないと、わかって欲しかった。
そのためには、まだ自分にも力があることを証明したかった。

~中略~

おれは子供たちにボクシングを教えているけど、彼らはすぐにむきになる。
おいおい、少しは抑えろよ、これはゲームなんだぞ。正しいやり方でやれよ、なんて教えながら同時におれはジョージ・フォアマン(自分)にも同じことをいってきたんだ。
大事なのは誠実な試合をすることであって、相手を傷つけることではない。
子供たちにボクシングを教えることがなかったら、カムバックはしていなかっただろうね。
via 山際淳司『スタジアムで会おう』より
引退から10年、フォアマンは自分のためでなく、青少年たちを導くために今度はリングに上がることになった。
ジョージ・フォアマン・ユースセンター

ジョージ・フォアマン・ユースセンター

ヒューストンの郊外にある青少年更生施設「ジョージ・フォアマン・ユースセンター」

『無謀』と嘲笑されたフォアマンの復帰

復帰を決めた38歳のフォアマンだったが約10年のブランクは彼の体を別人に変えていた。
若きフォアマン(左)と、復帰後のフォアマン(右)

若きフォアマン(左)と、復帰後のフォアマン(右)

引き締まった鋼のような体は、脂肪によってすっかり膨らみ体重は20kg以上増えてビア樽のようなお腹になっていた。
ジョージ・フォアマンが復帰した1987年、ボクシング界の王者はマイク・タイソン。
ヘビー級としては小柄ながらガードごと薙ぎ倒す桁外れのパンチ力、ヘビー級史上最速の評価をモハメド・アリと分かつスピード、急所を正確に打ち抜く高度なコンビネーション、そして相手のパンチをことごとく躱す鉄壁のディフェンス技術を武器に次々に大男たちをキャンバスに沈めていた。
「70年代の拳を振り回すだけのボクシングは、現在の発達したボクシング技術には通用しない。」
「あの腹でボクシング?サンドバッグのように打たれて殺されるぞ。」
「タイソンとやるどころか、誰にも勝つことはできない。」
などとフォアマンの復帰は歓迎されることなく、嘲笑された。

なかには、「マイクタイソンとの対戦し大金を要求したいだけの詐欺行為だ」と批判するジャーナリストすらいた。
マイク・タイソン(Mike Tyson)

マイク・タイソン(Mike Tyson)

18歳でプロデビュー、1986年に史上最年少(20歳5か月)で世界ヘビー級王者となる。
モハメド・アリ引退後のヘビー級停滞期を打ち破りパウンド・フォー・パウンドの頂点に君臨した。
身長:180cm
リーチ:180cm
俺は夢を見ないくらいなら、死んだ方がマシなんだ。
via ジョージ・フォアマン
数々の批判に対して、フォアマンは「青少年の更生」という夢に対する熱い想いを語っていた。
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1968年、メキシコシティオリンピックで金メダル獲得。 1973年、無敵のジョー・フレージャーを倒し世界ヘビー級チャンピオンになる。 1974年、モハメド・アリにノックアウトされ、やがてリングから消えた。 1994年、マイケル・モーラーを逆転KOで倒して再び世界チャンピオンなる。 アーチ・ムーアやロベルト・デュランなど40歳を超えても戦い続けたチャンピオンはいた。 しかしジョージ・フォアマンは10年間のブランクを経てカムバックし、しかも世界チャンピオンになった。 彼はその間、牧師をしていて、復帰の理由も慈善活動の費用を稼ぐためだった。 少年時代、小学校を留年し中学校を卒業できず犯罪にさえ手を染めた彼が・・・ 圧倒的な強さ、栄光、勝利、すべてを失うような敗北、そして奇跡のカムバック。 まさにアメリカンドリーム。
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