中日ドラゴンズの主軸選手として活躍した谷沢健一の軌跡!
2021年5月27日 更新

中日ドラゴンズの主軸選手として活躍した谷沢健一の軌跡!

プロ1年目からレギュラーを勝ち取り、17年のプロ野球選手生活を送った谷沢健一。輝かしい記録の裏にはアキレス腱痛と闘い二軍落ちするなどの苦労もありました。

2,976 view

自ら発信

自身のTwitterアカウントも持っており、講演の様子や解説の仕事、キャンプ視察などの情報を日々発信しています。

著書

野球に関する著書も多く出版されています。
もちろん酒マッサージに関するものもありますよ。
 (2189723)

まとめ

プロとして長く活躍した裏には故障tの闘いがあるのですね。

この、酒マッサージでの治療の影響を二人の娘さんの受けました。
長女の谷沢順子さんはMLBで日本人女性初のトレーナーに、次女の谷沢京子さんは酒マッサージ師として活躍しているとのことです。
30 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【1976年プロ野球】史上最も僅差の首位打者!中日・谷沢 vs. 巨人・張本

【1976年プロ野球】史上最も僅差の首位打者!中日・谷沢 vs. 巨人・張本

1976年、セ・リーグの首位打者争いは、張本勲が日本ハムから巨人に移籍したことで、例年になく混戦を極めました。シーズン後半は張本がトップをひた走り、中日・谷沢健一やヤクルト・若松勉らが追う展開。そして、ペナントレースの最後の最後でドラマが起きます。今回は、当時の首位打者争いの様子を振り返ります。
izaiza347 | 3,005 view
【大島康徳】26年間もプロ野球界で活躍、勝負強い打撃が持ち味の天才打者

【大島康徳】26年間もプロ野球界で活躍、勝負強い打撃が持ち味の天才打者

大島康徳は、中日で17年、日ハムで7年、合わせて24年間の現役生活を務めた名選手です。1983年にはホームラン王のタイトルを獲得、1990年には2000本安打を達成しました。勝負強さにも定評があり、1シーズン代打本塁打7本という記録も残しています。現役引退後は評論家をへて2000~02年には日本ハムファイターズの監督も務めました。今回は大島康徳について詳しく見ていきます。
【谷沢健一】1970~80年代の中日ドラゴンズを牽引。首位打者2回、通算打率3割超えの安打製造機

【谷沢健一】1970~80年代の中日ドラゴンズを牽引。首位打者2回、通算打率3割超えの安打製造機

谷沢健一といえばわかりやすく歯切れのよい解説でおなじみの知性豊かでちょっと渋味のあるプロ野球解説者といったイメージを持つ方が多いことでしょう。そんな谷沢健一、実は首位打者を2回、通算2000本安打達成、通算打率は3割を超えているすごい選手なのです。今回は、その野球解説同様、玄人好みの渋い打撃術でプロ野球ファンを魅了した天才スラッガー谷沢健一の現役時代の活躍を中心に紹介していきたいと思います。
魅せるバックトス「高木守道」。球界一の二塁手2代目ミスタードラゴンズ。

魅せるバックトス「高木守道」。球界一の二塁手2代目ミスタードラゴンズ。

日本一とうたわれた二塁手としての功績、代名詞となったバックトスなど急逝した高木守道氏の野球人生を振り返る。
こうし | 867 view
【谷沢健一の軌跡】中日不動の四番、谷沢健一。その栄光の軌跡を辿ってみよう!

【谷沢健一の軌跡】中日不動の四番、谷沢健一。その栄光の軌跡を辿ってみよう!

谷沢健一、不動にして最強の中日四番打者。1982年、涙のドラゴンズ優勝シーズンの四番打者でもある。その輝かしいキャリアの裏には奇跡のカムバックもあり、決して平坦な道のりではなかった。そんな谷沢のキャリアをともに振り返ろう。
青春の握り拳 | 24,204 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト