マサカリ投法・村田兆治 「昭和生まれの明治男」と呼ばれ、フォークを武器にロッテ一筋で完投にこだわった野球人生でした
2016年11月25日 更新

マサカリ投法・村田兆治 「昭和生まれの明治男」と呼ばれ、フォークを武器にロッテ一筋で完投にこだわった野球人生でした

ロッテの大投手、マサカリ投法の村田兆治。「サンデー兆治」や「昭和生まれの明治男」と呼ばれました。途中、フォークボールを習得後、更に成績を伸ばしました。最後までロッテで過ごし、完投にこだわりを持った大投手でした。

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動画

レジェンド村田兆治 黄金期のマサカリ投法 - YouTube

村田兆治【現役最後の登板】1990年10月13日(川崎球場) - YouTube

【野球】 引退後の村田兆治の投球 - YouTube

引退試合でもキレッキレ!!
秋山やデストラーデを三振、清原を内野ゴロに打ち取って、勝ち投手に!

実は遊んでた新人時代

入団したばかりの村田兆治が徹夜麻雀から朝帰りした時にランニングへ出かける小山と鉢合わせして、村田はとっさに何も言わず自分の部屋に逃げ込んだ。

その後、練習中に謝りに来た村田に対して「お前ほどの才能がありながらそれを無駄にするのはさびしくないか」と言い、当時球界を代表するベテラン投手だった小山に諭された村田は感激し、真剣に練習へ取り組むようになった。
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東京オリオンズ・小山正明

肘の手術

かつて、日本野球界では、選手が体にメスを入れることはタブーとされていました。
それは、手術後の完全復活は無理だと考えられていたからです。

1982年肘を怪我して再起不能と診断された村田兆治投手は、このタブーを破り、アメリカで手術を受けました。

足のじん帯を肘へ移植するという手術です。
2年間のリハビリの後、村田投手は復活しました。

毎週日曜日に登板しては勝ち星をあげることから、「サンデー兆治」の異名をとるなど活躍し、1989年には、通算200勝を達成したのです。
腱の移植手術。いわゆるトミー・ジョン手術ですね。
今や投手の治療において、選択肢の一つになっていますが、当時は本当にリスキーで、信じられない行為だったようです。
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右ヒジ手術後初勝利を飾った村田兆治(右)を、ロッテ監督の稲尾様が祝福!

座右の銘

「人生先発完投」を座右の銘とし、先発完投にこだわった村田の武骨な野球人生は「昭和生まれの明治男」と呼ばれた。
この異名、秀逸ですよね!
村田らしい無骨な感じが出てるんです。

終生のライバル

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南海時代の門田博光
終生のライバルは門田博光だった。

村田兆治は、若い頃から自信を持って投げることができた球は打たれることがなかった。
しかし、自身完璧と思ったスライダーを門田にサヨナラ本塁打されたことで、猛烈なショックを受ける。

それ以後、門田にはスライダーを1球も使わず、ストレートを磨くようになった。
一方の門田は、ストレートに負けないよう鉄球を打つトレーニングに励んだ。それを伝え聞いた村田は、さらにストレートに磨きをかけるよう鍛錬に鍛錬を重ねたという。
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