マサカリ投法・村田兆治 「昭和生まれの明治男」と呼ばれ、フォークを武器にロッテ一筋で完投にこだわった野球人生でした
2016年11月25日 更新

マサカリ投法・村田兆治 「昭和生まれの明治男」と呼ばれ、フォークを武器にロッテ一筋で完投にこだわった野球人生でした

ロッテの大投手、マサカリ投法の村田兆治。「サンデー兆治」や「昭和生まれの明治男」と呼ばれました。途中、フォークボールを習得後、更に成績を伸ばしました。最後までロッテで過ごし、完投にこだわりを持った大投手でした。

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主な個人記録

 (1571954)

200勝投手
最優秀防御率(75、76、89)、最多勝(81)
最多奪三振(76、77、79、81)ベストナイン(81)

珍記録

通算暴投数148は日本記録で、2位の石井一久の111個を30個以上も引き離している。
とはいえ、バッテリーの袴田英利捕手は彼のすさまじい落差のフォークをしばしばノーサインで取ってたらしいので、仕方ないといえば仕方ない。

実は、このバッテリーの投球の組み立ては基本的に村田が行っている。

袴田の「一軍でやりたい」という望みに対し村田は「ならオレのフォークをノーサインで捕れ」と応じ、以後袴田の身体を張った捕球がゲームで見られるようになった。
袴田が左手の指を骨折したことも何度かあったという。もちろん、村田もそんな袴田の捕球に絶対の信頼を置いている。
 (1572592)

ノーサイン村田
時代を感じるエピソード。
こんなあくの強い選手って今はいないですよね。

ある意味個人主義なんだけど、仲間も気遣う。
ま、勝ってたから許されたんでしょうね。

視力

女房役であったキャッチャーの袴田氏によると、村田兆治は視力が悪く、ナイターの試合では、ライト次第でサインと違うボールが飛んできたそうです。

引退後

 (1571971)

引退後
・1992年、小学5年生向けの道徳の教材に「逆境を克服した生き方」の教材として、村田が右肘手術からの復活した時の様子が取り上げられた。

・2007年5月26日のセ・パ交流戦、ロッテ対横浜戦で始球式投手を務める。

この時の球速は135km/hを記録したが、これはこの試合の先発を務めた渡辺俊介の全投球よりも速いものだった。

・2013年8月30日のロッテ対日本ハム戦で始球式に登板し、球速は63歳にして135km/hを記録した。


(Wikipedia「村田兆治」より抜粋)
今でも、現役選手さながらのハードな筋力トレーニングや柔軟体操を欠かさないみたいです。

未だに伝説を生み出し続けてる村田兆治に拍手!
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