桜庭和志  初代タイガーマスク、新日本プロレス、UWFに魅せられ、「プロレスこそ最強」のUWFインターナショナルに入団
2025年7月1日 更新

桜庭和志 初代タイガーマスク、新日本プロレス、UWFに魅せられ、「プロレスこそ最強」のUWFインターナショナルに入団

かつてサムライの国がブラジルの柔術にガチの勝負で負けて「日本最弱」といわれた時代、舞い降りた救世主は、180cm、85kg、面白い上に恐ろしく強いプロレスラーだった。

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【新生UWFのテーマ】(動画付)~選ばれし者たち~

一方、格闘技界では、大学入学直後に新日本プロレスを解雇された前田日明、そして新日本プロレスとの契約を蹴った高田延彦、山崎一夫、さらにUWFの入門生だった安生洋二、宮戸優光、中野龍雄の6人がUWFを再始動させ、
「第2次UWF」
と呼ばれた。
旗揚げ戦(1988年5月12日、後楽園ホール)のチケットは、発売から15分で完売。
2戦目の北海道・札幌中島体育センターも5000人の超満員。
3戦目、「真夏の格闘技戦 THE PROFESSIONAL BOUT」も、東京、有明コロシアムを12000人の超満員にして、メインで前田日明がジェラルド・ゴルドーと対戦。
伝説の武道家、ジョン・ブルミンから極真空手を学んだジェラルド・ゴルドーは、196cmの長身から繰り出す強烈な突きとしなるような蹴りで第4回世界大会でBEST16。
同じくジョン・ブルミンの道場で学んだヨハン・ボスは、ボス・ジム、(K-1で4度優勝したアーネスト・ホースを輩出)を、トム・ハーリックは、ドージョーチャクリキ(K-1で3度優勝したピーター・アーツを輩出)を設立したが、ジェラルド・ゴルドーもドージョー・カマクラという道場を開き、教えるだけでなく自身もキックボクシングの試合に出場し、戦い続けた。

前田 日明 vs ジェラルド・ゴルドー(1988年)

パンツ、レガース、シューズ、素手の前田日明は、トランクスにグローブ、腕に「極真」というタトゥーを入れたジェラルド・ゴルドーの速いパンチとキックを被弾。
打撃に苦しみながら、組みついて投げ、寝技に持ち込み、関節を極めようとすると、長身のジェラルド・ゴルドーは、すぐにロープにエスケイプし、再びスタンドに。
4R、右ハイキックをもらった前田日明がフラつくとジェラルド・ゴルドーは、トドメの右ハイキック。
これはヨロめきながらよけた前田日明によって空振り。
3発目の右ハイキックは、前田日明がキャッチして倒し、脚を極めようとしたが、ロープに逃げられてしまう。
立ち上がった後、ジェラルド・ゴルドーは4度目の右ハイキック。
前田日明は、これをカウンターで食らい、腰を落とし、タタラを踏みながら後退。
するとジェラルド・ゴルドーは、5度目の右ハイキック。
これをキャッチした前田日明は、リングに引き倒し、ロープに向かってほふく前進するジェラルド・ゴルドーをリング中央に引き戻し、関節を極めてタップさせ、4R、1分10秒、劇的な逆転勝利。

新生UWF特番・・・地球発19時

この日の有明コロシアムは、TBS「プライムタイム」、フジテレビ「FNNスーパータイム」などTVのニュース番組でも取り上げられた。
この後も月1回の行われるUWFの興行は、常に満員。
真の強さを追求して、総合格闘技を行おうとするUWFに若者は熱狂。
仕事を休んでテレビで放送されないUWFを観に行くファンを「密航者」と呼ぶなど、一種の社会現象となった。
29歳の前田日明は、「笑っていいとも!」やワイドショーなど多数のTV番組に出演。
ビッグコミックで前田日明の自伝的マンガ「格闘王への挑戦」、月刊フレッシュ・ジャンプで「新格闘王伝説・前田日明物語・獅子の時代」が連載開始。
プロレスをスポーツとみなし取り上げなかった一般新聞や「スポーツグラフィック ナンバー」「アサヒグラフ」なども、
「リアルファイト」
「真剣勝負」
「旧体制に反発し勝利した物語」
として伝えた。
しかし実際は、勝敗はあらかじめ決められていてアドリブで戦うという真剣勝負にみせたプロレスだった。

佐山道場

競技として真剣勝負の総合格闘技を創ろうしている佐山聡は、
「関節技は一瞬で極まる。
極まれば、数秒間ガマンしたり、ロープに逃れるのは不可能」
「UWFは真剣勝負とか格闘技とか、そういう言葉使っちゃダメだよね。
格闘技のニオイが少しするプロレスですよとかいわなきゃ。
普通のファンにはわからないようにやっても僕らがみればすぐにわかりますから」
とUWFを批判。
UWFの有明コロシアム大会直後、広島県高田郡で修斗の合宿を行い、参加した10名の選手は
「お前らに心臓はいらないんだ」
というスローガンと竹刀を持った佐山聡のスパルタ指導の下、朝、昼、夜と3回に分けて1日8時間以上、練習。
第2次UWFが旗揚げし、爆発的なブームを巻き起こす中、スーパータイガージムは、80万円の家賃が重荷となり、同じ天下茶屋の数軒先の4階建てのビルに移動。
4階と屋上を借り、4階は事務所、ロッカー、シャワー。屋上は、道場とトレーニングジムにした。
屋上は、鉄骨を組んで、下にはマットを敷いて、サンドバッグを吊り、トレーニング器具を置き、上面はテント、側面はビニールシートを張った。
夏になると熱がこもったのでビニールシートを四角く切って窓をつくったが、秋になると風が冷たくなると鏡を置いてふさぎ、冬は凍えながら練習。
狭くてボロいジムで真剣勝負の格闘技を練習する修斗は、世間ではUWFの2番煎じとみられていた。
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イヤな練習をガマンして継続していた桜庭和志は、大学3年生の秋、4年生が引退するとレスリング部で自分より強い人間が1人もいなくなり、11月には、レスリング部の主将に任命された。
そして3年生の1月、第2次UWFがフロントと選手の確執が原因で崩壊すると、桜庭和志と監督の関係が悪化。
思うように練習ができない桜庭和志は、ケガをきっかけにタバコを吸い始め、飲酒量も増加。
監督が自分がいないところで部員に、
「桜庭はダメなヤツだ」
といったのを知ると
「コソコソ陰口叩きやがって!」
と髪の毛を逆立て、直接、監督の家に電話をかけ、ウップンをブチまけた。
大学4年生になる頃には、レスリングへの情熱が完全に冷め、5月の大会の後、
「監督と顔を合わせるのがイヤ」
と適当な理由をつけて主将を返上。
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そんな経緯もあって引退後は道場に行けなくなった桜庭和志だが、履歴書には
「レスリング部主将」
とちゃっかり書いて送り、就職活動。
1社目の都内スポーツジムの面接を受け、内定をもらった。
1発合格を決めた桜庭和志は、卒業後、働きながら体を大きくしてプロレスラーになるつもりだった。
しかしレスリングができない大学は、まったく意味がなくなり、何もしない日々を過ごした結果、2教科4単位が不足し、留年が決定。
スポーツジムは、
「1年待つから」
といってくれたが、なぜか就職するのが嫌になり、
「田舎に帰りますから」
とウソをついて断った。
そして大学にたまに行きながら、日々をアルバイトとパチンコと酒に費やした。

UWFメインテーマ(Bass Boost)

格闘技界では、第2次UWFが崩壊。
前田日明は、選手だけで新団体を立ち上げようと準備を進め、スタッフを確保。
選手を集めて、一致団結を呼びかけたが、宮戸優光が人事を独断で決めたことに異を唱えた。
前田日明は、3日後に再招集をかけ、
「前回、俺の決めたことに不服そうなヤツガいた。
これからやっていくにあたって俺を信じてくれなきゃ困る。
全部俺が連れてきた人だし、俺のことを信じてやってくれないとすごくやりづらい。
1人でも信じないなら、俺はやらない」
鈴木みのるは、すぐに
「自分は信じます」
といったが、宮戸優光は、
「無理やり上からいわれて、はい、やりますとはいえません」
安生洋二も
「自分も同じ意見です」
前田日明が、
「俺のことが信用できないのか?
さっきいったけど1人でも信じてくれないならやっていけないんだよ」
というと宮戸優光と安生洋二は、
「信用するか、信用しないかっていっても、そんなのわかりませんよ」
「前田さんのいうことだけを一方的に信用するのは不可能です」
「今日はいわせてもらいますけど、前田さんは僕らを単なる下っぱだと思ってるでしょ」
「なんか強制されてるみたいで嫌だなぁ」
すると前田日明は、
「わかった。
じゃあ解散だ」
「そんな、ないっスよ」
と鈴木みのるはいったが、前田日明に
「いや、できない」
といわれると泣き始めた。
宮戸優光と安生洋二は、すぐに帰り、その後、一緒にロイヤルホストで食事。
高田延彦、山崎一夫、船木誠勝、田村潔司らは残って、
「前田さん、これだけでやりませんか」
と説得したが、前田日明の返事は同じ。
帰りのエレベーターで船木誠勝は、
「俺たちだけでやりませんか。
1回やったら、たぶん前田さん、来てくれますよ」
といったが、高田延彦は。
「前田さんがやらないっていうんだから無理だよ」

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このとき前田日明は、本当に解散する気はなく、
「こういえば反省して1週間ぐらいしたら向こうから頭を下げにくるだろう」
と思っていたが、その1週間の間に想定外のことが起こった。
まず宮戸優光と安生洋二が、船木誠勝をエースにして若手だけで団体をつくろうとした。
しかし船木誠勝と鈴木みのるは、藤原喜明と一緒にやることを決め、「プロフェッショナルレスリング藤原組」を結成。
すると宮戸優光と安生洋二は、次に高田延彦にコンタクト。
高田延彦は、それを受け入れ、山崎一夫と中野龍雄、そしてUWFで自分のファンクラブの会長をしていた鈴木健を誘って「UWFインターナショナル」を設立することに。
1人ぼっちになってしまった前田日明は、 一時期、本当に部屋に引きこもってしまったが、
「考えてもしゃーない。
とりあえず体を動かそう」
とトレーニングを開始。
開局間近だったWOWOWがスポンサーとなり、格闘技団体「ファイティング・ネットワーク・リングス」を所属選手、自分1人という状態でスタートさせた。
こうして第2次UWFは、

・藤原組
・UWFインターナショナル
・リングス

の3つに分裂した。
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大学5年生になって初めてプロレス団体の入門することを真剣に考え、
「リングスにいくつもりはまったくなかった。
練習相手がいないと強くなれないけど、リングスには日本人選手がほとんどいなかったからです。
後は藤原組でもUWFインターでも、どっちでもよかった」
という桜庭和志は、週刊プロレスでUWFインターナショナルが練習生を募集の記事を発見。
年齢制限は22歳までとあり、7月になれば23歳になってしまう桜庭和志は、あわてて顔と体の写真を撮って、履歴書を送付。
しばらくすると電話がかかってきて
「試験するので道場に来てください」
といわれた。
入門テストは。7月の終わりに行われ、23歳になった桜庭和志が道場に行ってみると受験者は自分1人。
数人に見守られながら、近くにあった急な坂道を3本ダッシュ。
それが終わると道場でスクワット、腕立て伏せ、ブリッジを行った。
テスト終了後、試験監督の宮戸優光に
「今すぐ大学辞めて入門するなら採ってやる。
1ヵ月間考えて、8月31日までに返事をくれ」
といわれ、
「大学なんてとっととやめて、1ヵ月間遊ぶしかない」
とすぐに大学を辞めた。
それを電話で報告すると親は
「卒業してから行けばいいじゃないか」
と激怒。
親戚から何度も電話がかかってきた。

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1992年8月29日、1ヵ月間、飲んで遊んだ桜庭和志は、車を持っている後輩に頼み、荷物を持って中央大学の寮を出て、UWFインターナショナルの合宿所へ。
そこは普通の一軒家で、表札には「高田」て書いてあった。
高田延彦が向井亜紀と住むために建てた家を合宿所として提供したもので、2階に2部屋、1階はLDK(居間、食事する場所、台所が1つのなっている)という間取りで、風呂は高田延彦のサイズに合わせてなのか大きめになっていた。
桜庭和志がドキドキしながら中に入ると金原弘光がいて、
「草むしりしといて」
といわれ、これが初仕事となった。
草むしりが終わった頃、高山善廣が帰ってきて、1階のリビングルームで同部屋になった。
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