自身の試練と闘いながら、父の無念を背に乗せて挑み続けたサラブレッド「カツラノハイセイコ」
2016年11月25日 更新

自身の試練と闘いながら、父の無念を背に乗せて挑み続けたサラブレッド「カツラノハイセイコ」

アイドルホース「ハイセイコー」の初仔として誕生しながらも、苦しい新馬の時代を経験し、長い闘病生活を乗り越え、復活を果たしたサラブレッド「カツラノハイセコ」を振り返る

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父の無念をはらすべく いざ、日本ダービーへ

第46回日本ダービー 東京芝2400m 5月27日

実力伯仲の中、カツラノハイセイコは1番人気。父と同じでした。
6年前、1番人気に推されながらも3着に敗れた父ハイセイコー。
ここでまた、親子で敗れるわけにはいきません。
25頭のライバル達と、いざ、決戦!!

カツラノハイセイコのスタートは上々、先行集団につけます。先頭のカシマセイカンがレースを引っ張り、4コーナーで集団はまとまって直線へ。外からテルテンリュウが切れ込んで馬体をぶつけてきます。カツラノハイセイコはこれを突き放してトップに立ち、ゴールに向かって走ります。とその時、猛然と突っ込んでくる馬がいました。なんと、抽選馬のリンドプルバンです。アッと言う間に馬体を合わされ、2頭はそのままゴールへ。
写真判定となりました。
長い長い写真判定の結果、ハナの差で1着!
カツラノハイセイコは父の無念を晴らし、見事ダービー馬に輝いたのでした。
この時、スタンドからは歓喜の大歓声があがりました。

題名は「いななけカツラノハイセイコ」

 (1703587)

ちなみに、ダービー制覇した1979年にカツラノハイセイコのレコードが発売されました。
歌っているのは、父ハイセイコーの主戦騎手だった増沢末夫騎手。
父の歌「さらばハイセイコー」は有名ですね。

栄光の後の悲運

日本ダービーの後、カツラノハイセイコは休養にはいり、10月の京都新聞杯に出走しますが、10着と惨敗します。
前年9月の新馬戦からダービーまで走り続けた疲労が蓄積しすぎたのか、夏バテ、脚部不安、肺炎も患い、鼻骨を折るなど病気とケガの連続となったのです。
そして菊花賞を断念し、約1年もの長期休養・闘病生活となるのでした。
と同時に、主戦騎手の松本善登が病に倒れ、京都新聞杯を最後に、河内洋へと乗り替わることになります。カツラノハイセイコは、またしてもパートナーを失うことになったのでした。

試練を乗り越えて

長い長い療養生活を余儀なくされたカツラノハイセイコが、ターフに戻ってきたのは、約1年後の1980年9月7日の阪神・サファイヤステークス、鞍上は河内洋騎手でした。
休み明けということもあり、人気は6番目。
危ぶまれた復帰戦でしたが、見事な末脚を見せ、2着に食い込んだのでした。

京都大賞典 阪神芝2400m 10月12日

前走で、見事な復活を果たしたカツラノハイセイコは1番人気に推されましたが、
結果は3着。勝つことはできませんでした。優勝は牝馬シルクスキー。
次戦でも戦うことになる相手でした。

目黒記念 東京芝2500m 11月2日

敗れてもなお人気は高し。今回も1番人気となったカツラノハイセイコのライバルは、前走で敗れた牝馬シルクスキー。
レースは、古馬のカネミノブを抑え、シルクスキーも頭差抑えての1着。
見事な勝利でした。
ちなみに最下位は、逃げの牝馬プリティキャストでしたが、この後とんでもないレースをするのでした。

伝説の天皇賞

長い休養明けを、順調にこなしてきたカツラノハイセイコは1番人気に推されます。
ライバルはホウヨウボーイ、シルクスキー、メジロファントムと強豪が揃いました。
父が果たせなかった「盾」取りに向けたゲートが今、開きます。

第82回天皇賞(秋) 東京芝3200m 11月23日

向こう正面からスタートした各馬は、プリティキャストを先頭に、長く展開します。カツラノハイセイコは2番手。プリティキャストはスタンド前から徐々にペースを上げ、2コーナーを回った向こう正面では、後続馬を20馬身以上離し、大暴走ともとれる大逃げを展開します。その差は4コーナー付近まで縮まらず、20馬身近い差を保ったまま直線へ入ります。各馬懸命に追いますが、プリティキャストを捉えられない。カツラノハイセイコは、道中プリティキャストを牽制しすぎたのか伸びません。結局プリティキャストはそのままゴール。カツラノハイセイコは6着に敗れました。
こうして、牝馬プリティキャストの大逃げ・逃げ切りとなる「伝説の天皇賞」が誕生したのです。
ゴールの後の「カツラノハイセイコもホウヨウボーイも・・・みんなまとめて、みんなまとめてぶっちぎって」という解説者の絶叫どおり、敵ながら大アッパレの勝ちっぷりでした。
カツラノハイセイコもなすすべがなかったレースでした。
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