悲劇の出生からスターダムに駆け上れ!! 芦毛の名馬「タマモクロス」
2016年11月25日 更新

悲劇の出生からスターダムに駆け上れ!! 芦毛の名馬「タマモクロス」

故郷を失い、母を失い、自身も窮地に追い込まれながらも、遅咲きの才能を開花させ、一世風靡した1頭のサラブレッド。ある1人の男によって導かれ、昭和最後の名勝負を残した「白い稲妻」、タマモクロスを振り返る。

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第98回天皇賞(秋) タマモクロスvsオグリキャップ - YouTube

スタートから向こう正面、タマモクロスはいつもの後方待機ではなく中盤に位置します。それを見るように、オグリキャップは後方を進みます。3コーナー付近でタマモクロスが2番手まで上がり、早めに仕掛けるとスタンドのみならず、陣営からもどよめきの声があがります。オグリキャップはまだ動きません。4コーナーを回って直線に入ると、オグリキャップは大外から襲いかかります。タマモクロスはまだムチを入れない。逃げるレジェンドテイオーに並ぶとタマモクロスにムチが入り、グイッと伸びて先頭に立ちます。そして、オグリキャップがタマモクロスに並ぼうとするが並ばせない。最後は、1馬身余りの差を付けたままゴール!
史上初の天皇賞春秋連覇の瞬間でした。

相手は世界の強豪

タマモクロスの力と、それを信じた南井騎手の見事な作戦で天皇賞を連覇した陣営は、ジャパンカップに臨みます。ヨーロッパ・北米・オセアニアから8頭の強豪を招き、あのオグリキャップも参戦します。
1番人気はタマモクロス。凱旋門賞馬のトニービーンを抑えての快挙でした。
タマモクロス対世界の強豪馬の幕が切って落とされようとしていました。

ジャパンカップ 東京芝2400m 11月27日

シェイディハイツ(英国)を先頭に団子状態でレースは進みます。芦毛の2頭は前レースとは逆、オグリキャップが中盤、タマモクロスは後方でのレース。タマモクロスは3コーナーから4コーナーでオグリキャップを抜き、ペイザバトラー(米国)のすぐ後ろへ。各馬団子状態で直線に入り、タマモクロスは大外からペイザバトラーに並び、一気に先頭へ。と、その時、ペイザバトラーが大きく内にヨレると同時に、ムチに反応しグイッと前に出て、タマモクロスをかわし先頭に立ちます。タマモクロスも必死に追いますが、半馬身届かず2着。オグリキャップは3着に終わりました。
最後の直線で、大きく内に斜行したマッキャロン騎手(ペイザバトラー)には戒告処分が下されましたが、着順には変更ありませんでした。しかし、これは偶然ではなかったのです。マッキャロン騎手が研究しつくした結果の行動でした。彼は東京競馬場はもとより、日本馬についても事前調査を綿密にしており、「タマモクロスとオグリキャップの2頭には並んだら勝てない、芦毛の2頭は要注意だ」と関係者に事前に話していたそうです。ペイザバトラーは内にヨレたのではなく、マッキャロン騎手が並ばせないために、内に切れ込ませたのでした。
タマモクロスは、名手の何とも大胆な騎乗によって9連勝はならず、14か月ぶりの黒星となったのですが、日本馬最先着・レース内容等すべてにおいて現役最強馬となったのでした。

最後の芦毛対決

タマモクロスは疲れ切っていました。元々食が細かったにもかかわらず、激しい戦いの連続で、さらに食欲不振に陥っていました。こうなると満足な調教もできません。「タマモクロス不調」。必然的に競馬会を駆け巡るのも、いたしかたないことでした。
馬主の意向により、有馬記念が引退レースと決まっていた陣営では、様々な策がとられましたが、良化は見込めませんでした。
しかし、ファンの期待・人気は不動のものでした。堂々のファン投票第1位となったのです。
相手は、あのオグリキャップ、そしてサッカーボーイ、スーパークリークと、台頭著しい若武者たち。
芦毛対決最後の舞台へ、いざ、決戦!!

第33回有馬記念 中山芝2500m 1988年(昭和63年)12月25日

レジェンドテイオーが先頭に立ち、オグリキャップは中団、スタートで出遅れたタマモクロスは、最後方からのレース展開となりました。3コーナーでタマモクロスが早めに仕掛け、4コーナーでは中団に上がり、大外から先頭集団を狙います。直線に入り、前を行くオグリキャップを視界に捉えると、すかさず馬体を合わせにいきます。叩き合う2頭。しかし、オグリキャップを抜けない。徐々にオグリキャップが前に出る。タマモクロス伸びない。
結果はオグリキャップに半馬身差の2着でした。
タマモクロスの競走馬人生は終わりました。
1年前までは細く、小さい、貧弱な400万下の条件馬が、史上初の天皇賞春秋連覇という偉業を成し遂げ、年間成績7戦5勝、2着2回の連対率100%という実績を残し、1988年度最優秀馬に選ばれるという快挙をやってのけたのでした。
引退レースで、オグリキャップに敗れはしたものの、王者は、明日へ夢をつなぐ若きチャンピオンに道を託したのでした。

王者引退

 (1700793)

1989年(平成元年)1月15日、京都競馬場にてタマモクロスの引退式が行われました。
鞍上南井は男泣き、ファンたちも涙ながらに声援を送りました。
そして第2の父、錦野氏も万感の思いで、秘かに男の涙を流していたことでしょう。タマモクロスの活躍で、離散していた妻子とも心を取り戻すことができたようでした。
人々のさまざま思いと人生を背負ってターフを駆けぬけた芦毛の子・タマモクロス、
お疲れさまでした。

ありがとう、タマモクロス

タマモクロスは種牡馬として北海道静内町アロースタッド牧場にいました。
GⅠ馬こそ出せませんでしたが、多くの重賞馬を産駒として輩出しました。
そして、1人の熱き男によって導かれた芦毛の子は、2003年4月10日、19歳(人間年齢65歳前後)でこの世を去ります。
「白い稲妻」「芦毛の名馬」と言われ、昭和最後の王者として競馬会に君臨したタマモクロスは、天国でもターフを疾風の如く駆け抜けていることでしょう。
タマモクロスの墓碑

タマモクロスの墓碑

ひだか町静内 オーマイホースパーク内
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