ニューミュージックの先駆者『財津和夫』。多才なアーティストはチューリップで開花した。
2016年11月4日 更新

ニューミュージックの先駆者『財津和夫』。多才なアーティストはチューリップで開花した。

財津和夫の音楽の原点は、九州でのバンド活動。そして、ニューミュージシャンとして、アーティストとしてのメジャーの原点は「チューリップ」。多数の歌手に楽曲を提供しつつ、自身もソロとして活躍してきました。

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チューリップ

財津和夫と言えば何といっても「チューリップ」でしょう。
原点はそれ以前にあるとしても、ミュージシャン・財津和夫はここから始まったのです。
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メジャーデビュー

1972年、九州で活動していたメンバーが上京して最初に発売したのが、
「魔法の黄色い靴」。

チューリップ 魔法の黄色い靴、風のメロディ

レコーディングに異例とも言える16時間を費やした本作は、業界関係者には高い評価を得たものの、地元・福岡以外では売れず、全国的なヒットには結びつかなかった。そのため、発売当時の売り上げは2,000枚に過ぎないが、記念すべきデビュー曲であり、ライブでは長年にわたりエンディングを飾る曲として定着している。
この後も、シングル、アルバムと発売しますが、あまり売れずに苦しい時を重ねていきます。

背水の陣 「心の旅」

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デビューからシングル2枚・アルバム2枚を出したがヒットせず、3枚目のシングルが売れなかったら、地元福岡に帰るという話がでてきていた頃に背水の陣として生まれた曲である。

チューリップ   心 の 旅

この歌は、財津に代わって姫野達也がメインボーカルになったのですが、
発売当初はメジャー活動の危機でした。
オリコン初登場は71位。
その後、徐々に人気が出始め、発売から約5ヶ月が経った1973年9月10日付のオリコンシングルチャートで1位を獲得した。
9月18日時点で87万枚の売り上げを記録し、チューリップ最大のヒット曲となった。
この歌のヒットによって、マスメディアや雑誌に引っ張りだことなり、アパートでの苦しい共同生活をしていた5人はやっと解放されて自由な生活を手に入れ、スターの仲間入りを果たすのでした。

連続ヒット

「心の旅」でブレイクした彼らの2作目のヒットは、
1974年1月に発売された「銀の指環」。
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「心の旅」から続く姫野ボーカル3作目。これまでのシングルとは異なるアップテンポな仕上がりとなっている。大磯ロングビーチ(神奈川県)での合宿中に短時間で作られ、海外(ロサンゼルス)でレコーディングされている。

銀の指環 / チューリップ

バラードの名曲

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