中日の大砲!【大島康徳】は野球人としても熱血漢丸出しだった!
2021年5月27日 更新

中日の大砲!【大島康徳】は野球人としても熱血漢丸出しだった!

39歳の最年長で2000本安打を達成した漢。大島康徳は、瞬間湯沸かし器と異名を持つほどの熱血感まるだしの野球人でした。野球のスタイルも豪快そのもので、本塁打も量産するスラッガーでした。 そんな、大島イズムをご紹介しましょう。

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2006年にワールドベースボールクラッシックでは打撃コーチに選ばれ、金メダル獲得に力を注ぎ、見事優勝しメダルを首にかけられたときは人目をはばからず号泣したという。
現在では、再び解説者・評論家としての活躍をはじめ、プロ野球マスターズリーグの名古屋80D’sersの選手として活躍を続けています。

今の大島康徳がここで見れます!

現役・監督時代をあわせて、合計5回の退場処分がある。そのうち監督時代が3回もありますが・・・。

まじめで情熱溢れる性格で、自身のブログやサイトが人気で好評なので見てみてください。
息子の指導も話題になりましたね。
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