ブラジルから来た侍・ラモス瑠偉!元DFだけど日本リーグで得点王!お茶漬けのCMも!
2017年2月10日 更新

ブラジルから来た侍・ラモス瑠偉!元DFだけど日本リーグで得点王!お茶漬けのCMも!

1977年に来日して以降、長らく日本サッカーを支えたラモス瑠偉。現役時代は柔らかなボールタッチから放たれるループシュートなど印象に強く残るプレーが多かった。日本サッカーリーグ時代からJリーグ開幕、ドーハの悲劇のラモス瑠偉を中心にまとめた。

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日本代表では”ドーハの悲劇”を経験!オフト監督とは軋轢も!!

1989年11月に日本国籍を取得したラモス。
翌1990年のアジア競技大会時に、日本代表に初選出され、1991年のキリンカップ初優勝に貢献した。

1992年にオランダ人のハンス・オフトが、外国人として初めて日本代表監督に就任。
同年夏のダイナスティカップで優勝し、秋に行われたAFCアジアカップでも優勝に導き、日本国外で行われる国際的な大会で日本サッカー界初となるビッグタイトルをもたらした名監督であった。

この頃の日本代表はキーパーが松永成立、DFの中央に井原正巳と柱谷哲二、サイドに堀池巧、都波敏史もしくは勝矢寿延、MFに森保一、吉田光範、ラモス、北沢豪、FWに高木琢也、三浦知良、福田正博、中山雅史らが中心として活躍していた。
日本代表でも「10番」だった

日本代表でも「10番」だった

ハンス・オフト監督

ハンス・オフト監督

しかし、オフトの目指すサッカーは、ラモスが求める自由度の高いブラジル流サッカーとは異なり、規律と組織を重視したものであった。
自己主張の強いラモスは、オフトへの批判をマスコミ上で展開。それにより一時期代表を外されかねない危機もあったが、1992年9月26日、オフトとの30分程度の個人面談(通訳の為に小倉純二専務理事が同席)で和解している。

そして、1993年10月のアジア最終予選、最終戦のイラク戦で後半ロスタイムに同点とされ、ほぼ手中にしていた悲願のワールドカップ初出場を逃す”ドーハの悲劇”を経験した。

同年の5月に「36歳85日」の日本代表最年長得点記録(2011年時点)を打ち立てるなど、まだまだ衰え知らずといったラモスであったが、自身はたとえ本大会出場を果たしたとしても、代表から引退する意思を持っていたという。
”ドーハの悲劇”  ピッチに座り込んで動けないラモス

”ドーハの悲劇” ピッチに座り込んで動けないラモス

〔対立〕ラモス瑠偉×ハンス・オフト 俺はあんたの犬じゃない→ドーハの悲劇

7:44~ ドーハ組の選手とオフトの再会シーン。オフトと談笑するラモスの様子を見て、「この二人が隣にいるのが不思議でしょうがない」と言われている。

1998年に現役を引退

1998年11月14日に日立柏サッカー場で行われた柏レイソル戦で現役を退いた。
41歳9ヶ月5日という最年長出場記録は2009年に中山雅史に抜かれるまではJリーグ記録だった。

翌1999年8月には国立霞ヶ丘競技場でラモスの引退試合が開催された。
カズや武田、北澤らヴェルディ川崎のOBなどで構成するチームの一員としてJリーグ選抜と対戦。この試合はJリーグとして初の公認引退試合であった。

この試合は4万8千人もの観衆を集めた。ラモスは「初めてここでプレーした時は400人ぐらいだったが、きょうは一人の選手のためにこんなに多くの人が来てくれた。夢のようです」とコメント。また、「生まれかわっても、日本に来て早く帰化してワールドカップへ出たい」と情熱的なラモスらしく涙と共に語った。
引退セレモニー後、日の丸を持ちながらグラウンドを一周した

引退セレモニー後、日の丸を持ちながらグラウンドを一周した

献身的にラモスを支えた日本人妻

1980年10月、当時23歳のラモスは後に妻となる21才の初音さんと出会った。当時美大生だった初音さんを友人から紹介された。ラモスはその時「胸がドキドキして、足が震えましたね」と一目惚れだったと明かしている。

ラモスは1981年8月2日にバイク事故を起こす。左足のすねを複雑骨折し選手生命が危ぶまれる程の大怪我であった。この時のラモスは非常に取り乱し、病院に駆け付けた初音さんが手をつけられないほどだったという。ポルトガル語で喚き散らし周囲にあたり散らしていた。

入院生活を送る中、往復に4時間以上かけて見舞いに訪れる初音さんに対し、ラモスは「二度と来るな!顔も見たくない。帰れ!!」と怒りをぶつけるも、翌日また看病に訪れた初音さんに「(内心)降参した」とラモスの方が折れ、この献身的な看病に感激して結婚を決意した。
結婚した時にラモスは「あの事故の時に初音ちゃんは僕を笑顔で守ってくれた、だから今度は、どんなことがあっても初音ちゃんを笑顔で守る」と誓ったという。
初音さんとラモス

初音さんとラモス

ラモスが日本への帰化を決めたきっかけも初音さんだった。
最初、読売クラブのコーチから帰化を勧められるが、これは外国人枠3人を超える4人もの外国人が在籍していたクラブ事情があったためで、その時自身の人生が天秤にかけられているように感じて始めはムッとした。また、いずれはブラジルで初音さんと所帯を構えようと漠然と考えていたこともあり、帰化に前向きではなかったものの、熟考した結果「妻(初音)の両親は快く一人娘をガイジンの俺にくれた、俺はとんでもない馬鹿野郎だった。何かの形で日本に恩返ししないとこれでは筋が通らない。」と猛省。その後、日本国籍取得の申請を届け出た。

帰化した時点では日本代表に選ばれるとも思っていなかったため、日本代表に初招集された時には、夢のようで嬉しくて涙がこぼれたとも述べ、もうブラジル人ではなく日本人になったのだと実感したと語っている。

ちなみに本名の「Ruy」の当て字「瑠偉」は初音さんの考案によるもの。
 (1827982)

結婚後も、ラモスを支え続けた初音さんだったが、ある日突然病に倒れた。
ラモスがビーチサッカー日本代表監督を務め、忙しくしていた頃、初音さんは脇腹に激痛を訴えて緊急入院する。その時の診断結果は転移性肝ガンで、「おそらく持って1ヶ月」という宣告を受けた。

ラモスは初音さんに「出血がしばらく収まらないから、入院だって」と伝え、ガンの告知は一切せずに看取ることを決断した。ラモスは献身的な看病を行ったが、病室の一歩外では人知れず涙を流していたという。

2011年7月17日、なでしこジャパンがW杯で優勝する様子を病室で初音さんと見ていたラモス。すると初音さんは「次はあなたの番ね。私退院したら、イタリアに応援に行くわ」と、8月に控えていたビーチサッカーのイタリアでのW杯に行くと言う初音さん。ラモスは「わかった、約束するよ」と答えたが、その後初音さんの病状はさらに悪化、入院からわずか10日で亡くなることとなり、約束が果たされることはなかった。52歳だった。
初音さんを亡くした後に、ビーチサッカーW杯で指揮をとるラモス

初音さんを亡くした後に、ビーチサッカーW杯で指揮をとるラモス

エピソード

引退後は評論家として活動。一時期解説業も行っていた。現役引退までの半年前、1998 FIFAワールドカップにおいてNHKの解説を行っていた際、日本代表のふがいない戦いぶりから、試合後「何ニヤニヤしてんだよ!ワールドカップは戦争だヨ!」「こんなサッカーじゃオナニーしてんのと同じだヨ!」と、有働由美子アナウンサーのフォローを無視して激高したことがあり、中田英寿のセリエAプレー解説を務めたときも精神論を全面に押し出したコメントで「大和魂を見せろ」「あんなプレーでは相手にナメ(見下さ)られる」「気持ちを強く」と、また2002 FIFAワールドカップを控えた日本平運動公園球技場での一般公開における日本代表の紅白戦試合の取材中に辛辣なコメントを連発し、フジテレビのサッカーコーナーから姿を消す事となった。

タレントの明石家さんまから「お前はサッカー熱が過ぎて精神論だけが先行しボロカス言うから、テレビから干される」と指摘され苦笑いしながら頭を抱えていた。
しかし時を経るにつれて、日本代表やFIFAワールドカップ関連の番組に出演時には辛辣なコメントは控えるようになっている。

クロアチア戦時にNHKに出演し、激高するラモス!有働アナウンサーもたじたじ・・・。

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