影をも踏ませぬ逃走劇!坂路の申し子『ミホノブルボン』
2017年1月13日 更新

影をも踏ませぬ逃走劇!坂路の申し子『ミホノブルボン』

戸山調教師のスパルタ調教により『坂路の申し子』として皐月賞、日本ダービーを無敗で制したミホノブルボン。 その衝撃的な逃げ馬の伝説を振り返ります。

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第52回皐月賞 ミホノブルボン

日本ダービー

皐月賞で見事2000mの壁を克服したミホノブルボンですが、日本ダービーはさらに400m距離が延び2400mとなる上、コース幅が広く直線の長い東京競馬場は逃げ馬にとっても不利といわれ、にわかに距離限界説が再浮上、皐月賞馬でありながら2番人気となりました。
外枠(15番)からのスタートとなったミホノブルボンは、囁かれていた距離の壁やコースなど関係ないとでも言わんばかりに軽快に逃げをうち、圧倒的な力の差をみせつけて日本ダービーを制覇!3冠に王手をかけました。

1992 日本ダービー(G1) ミホノブルボン.mp4

決戦の秋に備え、夏場を北海道で過ごし英気を養ったミホノブルボン。
秋競馬の初戦は京都新聞杯(京都競馬場 芝2200mGⅡ)でしたが、このレースをあっさりと日本レコードで勝利し、次はいよいよ無敗の三冠馬の期待がかかった菊花賞への挑戦となります。

ミホノブルボン 第7戦京都新聞杯 G2 芝2200(良)

菊花賞

その驚異的なスピードと自身の血統背景から、常につきまとってきた『距離の壁』というワード。
今回はミホノブルボンにとって限界ともいえる3000mのレースへの挑戦でもあります。

レースは、逃げる事を宣言していた松永幹夫騎手のキョウエイボーガンがハナを切り、追う展開となったミホノブルボンでしたが、最後の直線でライスシャワーとマチカネタンホイザとの壮絶な叩き合いとなり、結果はライスシャワーの2着となり、三冠馬への夢は儚く散りました。

1992年 第53回 菊花賞(GI) ライスシャワー(的場均)レコード

「ダービーも皐月賞も、他の馬の前を行って、それで負けたら仕方ない、と思っていたので気が楽だった。しかし、菊花賞ではキョウエイボーガンにハイペースで先に行かれたので、道中、ちょっと迷いが出てペースダウンした。先生は、そこが不満なのかもしれない。先生の理論は理解しているつもりだが、しかしまったくペースダウンせずに、そのまま競る形で走らせていたら、はたして2着があったのかどうか。自分はいまでも判断に迷っている」
菊花賞で逃げなかった小島騎手に対して、戸山調教師が不満を露わにした事への小島騎手のコメント

1992年年度代表馬に選出~引退へ

菊花賞での敗戦後、気持ちを切り替えジャパンカップを目指して調整されていたミホノブルボンでしたが、脚部の不安から出走を断念。
この年は菊花賞が最後のレースとなりましたが、無敗での2冠達成が評価され、年度代表馬に選ばれました。

翌年の復帰に向け療養していたブルボンですがその後、骨折の判明や骨膜炎を発症するなどして長期療養を余儀なくされました。

懸命のリハビリが施されている最中、所属の戸山調教師が病気のため死去され、ミホノブルボンは鶴留厩舎へ転厩となりました。
ミホノブルボンは転厩後も引き続き復帰のためリハビリをおこないましたがその甲斐もなく、1994年に入り引退が表明されました。
ミホノブルボンの生涯戦績は8戦7勝2着1回、うちGⅠ3勝(朝日杯3歳S、皐月賞、日本ダービー)という輝かしいものでした。

戸山調教師の信念である『鍛えて馬を強くする』という言葉。まさにミホノブルボンがその集大成でした。
当時関係者の間では、ミホノブルボンは本質的に短距離馬であると言われており、調教師の戸山為夫自身も「本来はスピードのみに恵まれた天性のスプリンター」と述べていた。しかし戸山は「鍛えて強い馬を作る」という信念のもと、徹底的に鍛え上げることで距離の限界も克服できると考え、ミホノブルボンに入厩当初から1日4本もの坂路調教を課した。また3歳時に坂路調教を1日4本こなしたのはミホノブルボンが初めてといわれている。

種牡馬生活~現在

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